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青い夜・村尾タツキ
あの青い夜、どうしてあの人が俺と寝てくれたのか、今でもさっぱり分からない。
妻のいる人だった。男と寝るような人ではなかった。俺の不純両性交友をいつもいさめてくれていた。
それなのにあの青い夜、あの人は投げ出すように俺に体を与えてくれた。多分、俺の好意をただの冗談だと思っているからなのだろう。だから、あんなに簡単に。俺があの夜から死にたいほどの好意を募らせ続けているとは想像もしないで。
「村尾くん、今日は何時に上がるの?」
「今日? 早上がりですよ。8時には。」
「じゃあ、家に行ってもいい?」
会話はそれだけだった。なにかの冗談かと思って、俺は「いいですよ。」などと答えた。彼は俺の職場である喫茶店に仕事終わりにやって来ては、いつも7時前には帰ってしまうので、今日もそうなのだろうと思い込んでいた。ちょっと言ってみただけ、からかってみただけだろうと。
清水さんのこと好きなんですよ、清水さんも俺のこと好きになって。
知り合った半年前から何度も繰り返してきた台詞だった。そのうちのどれも本気にされていないことは知っていた。知った上でも笑顔で聞き流してくれるところが好きだった。 それが今日は変わったレスポンスをするな、とは思ったが、俺に少しは気を許してくれたのかな、などと内心にやついていたら、本当に彼は俺の家までついてきた。
「え、奥さんは?」
素で問うと、清水さんは黙って首を振った。俺はそれ以上何も言わなかった。本当にこの人を抱けるかもしれないと思ったら、余計なことを言ってタイミングを逃すのが怖くなった。卑怯な事をした自覚はある。あの人は俺に抱かれたかったわけではなく、何か事情があって自分に明らかに好意を持っている誰かと過ごしたかったのだろう。俺はそれにセックスでしか応えなかった。どうしても彼を抱きたくて、お互い納得づくで性欲の処理をしているみたいな顔をした。最低のヤリチン野郎の自覚はある。
あの夜清水さんは俺の家に泊まっていった。足腰が立たなくて泊まらざるを得なかったのだ。初めて抱かれる側に回った身体に、俺は随分手荒なことをした。どうしても、帰ってほしくなくて。
「好きだよ。」
と、セックスが終わってから言った。
ぐったりと俺に背を向けて横になった清水さんは、なにも答えてくれなかった。当然だと思う。タイミングが狂っていたし、俺がどうしようもないヤリチン野郎だということはとうにばれていた。そもそも隠す気がなかったのだ。それだけが俺の特技だったから。
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