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顔赤さん
人と話すのが苦手で、友達のいない僕は、毎日人間観察に忙しい。
教室の一番後ろ、窓際の席に座る僕。ここからなら、クラス全体の様子が把握しやすい。
誰と誰が仲良いとか、誰が誰のことを嫌っているとか、誰が誰に想いを寄せているとかが、手に取るように判った。
給食を終えての昼休み。ふと僕が横に顔を向けると、扉の近くに席を構える、顔赤さんが映った。彼女の席近くには、今日も男子生徒が複数名いて、彼女はちょっかいを受けているようだった。
中でも一番しつこかったのは、運動神経抜群で、友達も多くて、人を笑わせるのが上手な酒井宏樹だった。だけど彼はちょっとイジワルで、よく顔赤さんをからかいの対象に選んでいた。
「うわー、波野! また顔真っ赤になってるぞ。男子に囲まれて喜んでるのか?」
宏樹がクラスのみんなへ聞こえるように叫んだ。波野由香里は照れると、すぐに顔が赤くなった。
だから僕は心の中で彼女のことを、顔赤さんと呼んでいた。
「ちょっと男子ー! 由香里のことイジメるのやめな?」
古田愛菜が椅子に座ったまま振り向いて注意するが、彼らは一向にやめる気配を見せなかった。
古田さんは宏樹のことが好きで、彼によく話しかけられている顔赤さんのことを、内心は良く思っていなかった。それを僕は日頃の観察から知っていた。
古田さんは顔赤さんを助けようとしてるのではなく、心の底では嫉妬していて、自分の恋心優先でじゃれ合いを止めようとしていたのだ。
「うるせーよ、古田! お前には関係ないだろ〜」
宏樹はケラケラ笑うと、なおも顔赤さんに絡んでいた。彼女のペンケースの中身を無闇にイジったり、彼女のノートに落書きしたり、無邪気に楽しんでいた。顔赤さんの顔は食べごろのリンゴみたく、さらに赤くなっていった。
……顔赤さんの様子を見ていると、まんざらでもなさそうだった。
でも反対に、宏樹もそうだった。宏樹は顔赤さんのことが好きで、だからあんな風にしつこいのだ。好きになると相手のことをとことんイジメたくなる、そんな小学生ならではの感情に、彼は突き動かされていた。
ーーそんな風に僕は考察を終え、視線を他の生徒に移したタイミングで、僕の耳に爆発音のようなものが届いた。
僕は思わず椅子から数センチ飛び上がった。
音の発生源を見ると、どうやら正体は顔赤さんのようで、彼女は机に手を添えたまま立ち上がっていた。顔赤さんが机を思い切り両手で叩いたのだ。その衝撃でペンケースが床に落ち、中から筆記用具が、魚のハラワタみたいに飛び出ていた。
「え、え? 波野……お前、どうし……」
宏樹が言い終える前に、顔赤さんが口を開いた。
「お前! 毎日毎日、しつこいんだよ!! 黙って大人しくしてればちょっかいばっかかけてきやがって!! お前は私のストーカーか!? 悪いけど私、あんたに一ミリも興味無いから!! 金輪際、私に話しかけてくんな、このバカ!!」
宏樹は魂を抜かれたように放心状態で、手に持っていたペンを落としてしまった。見かねた他の男子が、宏樹の脇に手を入れ、引き摺って行った。すると我に返った宏樹は、負け犬の遠吠えのように叫んだ。
「な、波野、お前! いっつも俺に構われて嬉しそうだったじゃんか! 顔を真っ赤にして……」
「違うっつーの! これは怒ってるから赤くなってんの!! 勝手に良いように解釈すんな、バカ!!」
宏樹は再び現実逃避をするように、意識を失った。
教室内に拍手と感嘆の声が湧き上がる。僕もつられて、椅子に座ったまま手を叩いていた。
……大人しいと思っていた顔赤さんが、あんな風に物を言えるとは……。毎日人間観察していても、判らないことは沢山ある。
僕もこんな遠目から、他人のことを全部知った気になるのは、この場を持ってやめようと思った。相手の気持ちをないがしろにしていると、きっといつか罰が当たる。
もしも心の中で彼女のことを、失礼ながら“顔赤さん”と呼んでいるのがバレたらと思うと……僕は途端に頭がクラクラしてきた。体が熱い。体温がグッと上がったような気がして、もしかしたら今の僕の顔色は、真っ赤に変化しているかもしれない。でもこれは照れなんかでも怒りでもなく、恐怖からくるものなのだ。
……僕はそれを、誰かに判ってほしい。
〈了〉
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