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そんなある日のことよ。
夕方から雨が降り始めちゃってね。私は傘を持ってくるのを忘れて、昇降口で途方にくれていたの。
いつも、万が一の時のために置き傘を机に入れていたのにね。その日は運悪く、昨日家に持って帰ってそのままにしちゃってたのよ。
田舎だから、学校から家までは結構な距離を歩かないといけないの。傘もなしに帰るのは辛くてね。どうしよう、と私は困ってしまっていたわ。びしょ濡れになって帰ったらお母さんに怒られちゃう、いいお洋服着てきたのに――とか、まあそういう考えもあったわけで。
雨足は強くなる一方。その時。黙って私に傘を貸してくれたのが謙三君だったのよ。
『おい雪子。これ貸してやるから、これで帰れよ』
そういって、ぐい、と差し出してくれたのは、カエルのキャラクターがついた緑色の傘。柄には間違えないように、“しみずけんぞう”の名前が書いてあってね。
『貸してやるって……え、謙三君はどうするの。もう一本傘あるの?ないでしょ?それに雨が嫌いだって、言ってたじゃない』
私は知っていたの。彼の家は、私の家より遠いってことを。
『お前だって嫌いだろ。濡れたくなくてベソかいてたんだろ。だからいいよ、お前に貸す。明日、学校で返してくれればいーよ』
『べ、ベソかいてないし!答えになってないし!!』
『だからいいんだってば!俺は男だからな、強くならなきゃいけないんだからな。いつまでも雨が苦手だとか、女々しいことばっかり言ってたら父ちゃんに叱られちまうからな!克服するためには、雨と対決して帰らないといけないからな、仕方ないんだからな!!』
『は、はあ!?』
段々、自分でも何言ってるのかわからなくなってたんでしょうねえ。色々と言い訳を並べながら、彼は私に傘を押し付けると、そのまま走り去ってしまったの。どろだらけの道を、文字通り傘も差さずにね。
あっけに取られて、私は走り去る彼を見送るしかなかった。――色々理由をつけたけど、結局私のために傘を貸してくれたのよね、彼は。本当は、お父さんを奪った雨が怖くて仕方なかったくせに。男だからとか、克服しなきゃいけないとか、とにかく何でもいいから言い訳して。
ね、本当に男の子って、素直じゃないわよね。
おかげで、その意味に気づくまでだいぶ時間がかかっちゃったわよ。
『い、いいのかな……これ……』
あした、綺麗に拭いて返そう。そうするしかない。あっけにとられて私はそう思って、その日はありがたく借りた傘で帰ったんだけど。
まさかね。――それが、彼との別れになるなんて、思ってもみなかったことだったわ。
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