シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈2〉

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シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈2〉

 抑圧的な社会に追い込まれ、奴隷的な労働に苦しむ不幸な人々の真相を理解するために、自らもまた彼らと同様の経験を積まなければならない。そのように考えたヴェイユは、自ら一工場労働者としての生活に乗り出した。  もし、ごく普通の女性が自らの生活を維持していくために、また彼女たちの家庭を守っていくために、手仕事や肉体労働以外に金銭を手に入れる手段がなく、外に出て雇われ働く他はないのなら、誰もが普通のこととしてそのように暮らしており、そしてそうしなければどうしても暮らしていけないというのなら、自分もまた、彼女たち普通の女性と同じことができるのでなければ、革命だ何だと主張する資格など自分にははないのだ(※1)。この世の苦境にあえぎ、そこから救われるべき人々が目の前にいるのなら、そしてその身になって考えるためには、まさに彼らが現実に立っている、その立場に立ってみなければいけない。革命などというものは、けっして机上の空論であってはならない。  ロシア革命と第一次大戦を経たこの時代、進歩的な知識人の間ではある意味「常識」となっていた社会主義の実現に対して、ヴェイユは懐疑的な思いを抱いていた。人々は「革命」という魔術的な言葉(※2)に酔いしれている。しかしこの言葉が人々自身の中から、なかんずくその主役であるべき「労働者自身」から出てきたものではないということを、ヴェイユははっきりと認識していた。また、革命後の社会においても労働者が存在するであろう以上は、そこに「労働者に対する支配」も存続するであろうということも、「革命後のロシア=ソヴィエト」において明白に見てとれることだった。  何よりも個人が尊重されるべきであること、そのために社会が構想されていること。そういうことをヴェイユは期待していた。ところがどうだ。集団の力が個人を圧倒する状況は何一つ変わっていない。かつての弱者は自らの打ち倒した強者に取って代わり、今度は新たな弱者を抑え込み踏み従えている。そして相変わらず人間は、社会のために動く機械になっている。そのことには、弱者も強者も何も変わるところがない(※3)。  そんな中で労働者たちは、時代の激流に呑まれるがまま、ただひたすら「黙っている」だけであるようにヴェイユには見えたのだった。もちろん、「黙らされていた」という側面はまちがいなくあったであろう。しかし、何であれ彼らは、言葉そのものを失っていたのではないのだろうか?あるいは、言葉を獲得する機会そのものを失っていたのではなかっただろうか?  社会を革命に向かわせる原動力になっていたのは、そのような「力」を体現していたのは、たしかに彼ら労働者たちの「叫び」ではあったのかもしれない。だがしかし、その「言葉」は、彼ら自身のものではなかったのではないか?一体、「彼ら自身の言葉」と言えるようなものはどこにあるのか?一体いつになれば、どのようにしたら、彼ら自身がそれを我が言葉として叫ぶことができるのか?  そのことを知るためには、やはり彼ら労働者のもっとも身近なところで、彼らと共に生活し、彼らのように生きてみなければいけない。  もちろん前もって労働者たちの実際の労働が大変につらいことであるのはわかっていたつもりであったし、まさしくその「つらさ」を身をもって味わうために、ヴェイユはあえてそこに踏み込んでいったはずだった。しかし、その実態は実に彼女の予想を超えていた。その日々の苦しさは、彼女の思惑や信念を吹き飛ばすどころか、そもそもそんなものがあったことすら彼女に忘れさせてしまうほどに。  持病の頭痛に苦しめられ、他の工員たち以上の疲労に心底へたばりながら、彼女は他の労働者たちと共に、日々ただただ働いた。現実の労働は彼女をけっして「特別扱い」しなかった。労働の中で、彼女が「誰であるか?」を問われるようなことはなかった。現実の労働の現場において彼女は、労働者の生活を体験するために潜り込んだ哲学教師、あるいは政治活動家ではなく、単に不器用で虚弱な一見習工員であるのにすぎなかった。  彼女自身がその労働者生活において経験している苦痛は、「むき出しの彼女自身」が受け止めなければならない痛みだった。そうならざるをえなかった。労働は、彼女の「生」そのものに深く侵食していった。彼女は次第に、それまで自分自身のものと考えていた「自分の言葉」を失っていった。翌日が休日であることを思うと、「ああ、うれしいなあ」という言葉しか出てこなくなっていた(※4)。もはや何を考えることもつらくなっていった彼女は、あたかも自分が「生まれながらの労働者である」ようにさえ感じるようになっていった。  しかし、彼女の出会った労働者たちが、彼女がそれまで思っていたような「現実の労働」の中で、ただべったりと平面的に「苦しくてつらい思いをしているだけではない」ということも、ヴェイユには次第にわかってきた。 (つづく) ◎引用・参照 (※1)吉本隆明『甦えるヴェイユ』 (※2)ヴェイユ「革命と進歩との観念の批判的検討」(『抑圧と自由』所収) (※3)ヴェイユ「自由と社会的抑圧との原因についての考察」(『抑圧と自由』所収) (※4)ヴェイユ「工場日記」(『労働と人生についての省察』所収) ◎参考書籍 シモーヌ・ヴェイユ 『抑圧と自由』(石川湧訳 東京創元社) 『労働と人生についての省察』(黒木義典・田辺保訳 勁草書房) 『神を待ちのぞむ』(田辺保・杉山毅訳 勁草書房) 『重力と恩寵』(田辺保訳 ちくま学芸文庫) 『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(今村純子編訳 河出文庫) 吉本隆明 『甦るヴェイユ』(JICC出版局) 冨原真弓 『人と思想 ヴェーユ』(清水書院)
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