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吸血鬼先輩と後輩サキュバス
「せんぱーい。そんな焦らなくてもいいですよぉ」
甘い声でこちらの自制を促しながらも本心は逆であることがわかる。こいつはいつもこうなることを望んでいた。だから、今、目の前でシャツをはだけさせ首筋を露わにし、誘うような視線で肩越しにこっちを見つめてくる。
そこでこれがおかしいことだと気付く。こいつはこうなることを望んでいても、俺は望んではいない。こういうシチュエーションにならないようにうまく避け、逃げていたのだ。それなのに突然このようなことになっているなんておかしい。どういう経緯でこうなっているのか全く思い出せない。
ああ、これは夢だ――。そして、夢にあいつが介入してきているのだろう。
目が覚め、体を起こす。
見覚えのない場所で窓から差し込む夕焼けが部屋を赤く染める。
辺りを見渡すと、ベッド脇に点滴があり、赤い血液の点滴パックと、それとは別の透明の液体の入ったパックに繋がった管が俺の腕に繋がっている。
それを確認して、深く深呼吸をし、ぼんやりと窓の外を見つめる。
その時だった。ふいに後ろから目隠しをされ、
「せーんぱい! だーれだっ?」
と、聞きなじみのある甘い声が聞こえる。その声だけで誰か分かっているが、そもそも俺にこんなことを好んでやってくるやつは一人しかいない。
「サキ、邪魔だから手を離してくれ」
そう言いながら手を払うと、払った矢先に後ろから腕を回して抱き着いてくる。
「せんぱーい。邪魔って、ひどくないですかぁ?」
「ちょっ、おまっ。暑苦しいから、離れろ」
「そんなこと言ってぇ。本当は嬉しんでしょう? 先輩?」
サキは耳にふうと息を吹きかけて、体を密着させてくる。背中に当たる柔らかい感触が生々しい。
「ほんとにやめろ、鬱陶しい!」
「もう素直じゃないなぁ」
サキは不満げな顔をしながらしぶしぶといった風に離れ、ベッド脇の椅子に腰かける。それを確認し、一息ついてから、
「それでここは? なんで俺はここにいるんだ?」
と、状況を確認するために尋ねる。それを聞いて、サキはぷっと頬を膨らませる。
「せんぱーい。それ本気で言ってますぅ?」
「ああ」
「じゃあ、かわいそうな先輩のために、私が説明してあげますよぉ」
いちいち言い方が腹立たしいうえに、にやあと笑っていることから本気で楽しんでいることが伺えて嫌な予感しかしない。
「先輩、また貧血で倒れちゃったんですよ。吸血鬼でその歳で貧血とか、先輩くらいですよねぇ」
「うるせえよ」
サキは相変わらずにやにやと見つめてくる。
実際、サキの言うことは否定できない。俺はいわゆる吸血鬼だ。食事は普通の人間と変わらないものを食べているし、太陽の光で灰になることもない。ただ吸血鬼はヒトの血液からしか摂取できない生きる上で必要な特殊な成分があり、定期的に血を摂取しなければならない。その方法は幼いうちは家族などの親族からが多く、成長するにつれそれが友人になり、その相手に採血をしてもらい血をもらう。
そして、一番効率よく摂取できるのが恋人など異性のパートナーから直接摂取することなのだ。
それ以外は高いお金を払って血液パックを買い、飲むことくらいだ。ただそれはコスト面と保存が面倒という面であまり推奨はされない。
そして、俺は基本ボッチで血を分けてくれるような友人がいない。さらに恋人なんてもってのほかだ。家族などの親族からはそろそろ相手を見つけて自立しろと、血を分けてもらえず、なけなしの小遣いとバイトのほぼ全額を血液パックに費やしている。俺みたいなやつは吸血鬼界隈では吸血童貞として、かわいそうな目で見られてしまう。早いやつは小学校に上がるか上がらないうちにそういう相手を見つけ吸血したりしているというのだから、最近の子供の倫理観というものを疑ってしまう。
「それでせんぱーい。そろそろ私の血を吸ったらどうですかぁ? 前から言ってますけど私はいつでもウェルカムですよぉ」
「お前なあ。冗談でもそういうのやめろって何度言ったら」
「私はいつでも本気ですよぉ」
そう言いながら髪を持ち上げ首筋を見せてくる。その魅力的な提案に、首筋に、吸血衝動が刺激される。吸血衝動は性的な興奮や欲情とセットになることが多く、今こうして反応するのが悔しい。しかし、首を振って我慢する。
「もう、またそうやって我慢するぅ。そんなんだから貧血起こしちゃうんですよぉ」
サキの甘ったるい声が耳に響く。理性をしっかり働かせないと我慢できず首筋に歯を突き立ててしまいたくなる。
ここまで言うと、俺がサキに欲情していて、そのサキがそれを認めているのだから我慢することはないだろうと思われるかもしれない。平たく言えば、両想いなんだから付き合うなりなんなりしてハッピーな吸血ライフを送れよと言われるかもしれない。
しかし、素直にできない理由はサキにある。
なぜならサキはサキュバスなのだ。
サキュバスは催淫を使い、性的な興奮を誘発させる。相手が眠っているとそれは効果を発揮しやすい。むしろ、夢魔と呼ばれるくらいにそっちが主戦場だ。
サキュバスはそうやって相手を刺激して精気を得るのだが、それは一時の快楽くらいのもので吸血鬼にとっての血のような絶対必要なものというわけではない。どちらかといえば、酒や煙草に近い嗜好品のようなものだ。
サキは俺をいじることで気持ちよくなりつつ、からかって気分もよくしているのだろう。だから、サキの誘いだけには絶対に乗らないと決めている。
「せんぱーい。顔色悪いですよぉ。横になったらどうですかぁ?」
「そうやって、俺が寝たらまた催淫しようとする気だろ? さっきもちょっとやってたろ?」
「バレてましたぁ? でも、そうでもしないと先輩、私に手を出そうとしないじゃないですかぁ?」
「そうされても手を出す気はないわ」
「ほんと先輩ひどいなぁ。私、先輩のこと大好きなのにぃ」
「はいはい、ありがとう。何回目か分からないけど、嬉しいよ」
「またそうやって流すぅ。私、本当に先輩のこと好きなんですよぉ」
サキは頬を膨らませる。どこまで本気か分からない。
「先輩。もしかして、私が誰にでも好きだとか言ってるとか思ってますぅ?」
何と返していいか分からず答えあぐねる。そうやって、相手の欲を刺激して精力を得るのがサキュバスの生物的な性なのだから。
「ほんと、先輩はひどいなぁ。今は私、先輩一筋なんですよぉ。先輩に出会ってから、先輩にしか積極的にアタックしないし、好きだなんて言ってませんよぉ」
「お前は言葉が軽いんだよ。だから、そうそう信じられるか」
「じゃあ、私がどれだけ本気か態度で示せばいいんですねぇ」
サキはにやりと笑う。そして、身構える前に正面からふわりといった風に抱き着いて、首の後ろに腕を回してくる。サキの顔が目の前にある。視線を外せないほど近くにサキの目がある。そのサキの目はどこか潤んでいて、サキが目を閉じるとまつ毛が長く綺麗だと思ってしまう。そんなことを思っていると、顔がさらに近づいて唇が重なる。甘い吐息と柔らかな感触に、その気持ちよさに身をゆだねてしまう。しばらくすると、唇が離れ、サキが目を開けこちらを見つめてくる。
「甘い――。ねえ、先輩。これで私が本気だって分かってくれましたぁ?」
「お、お前。また催淫を――」
「使ってませんよぉ」
言葉を被せられ、自分がサキに魅力を感じていたのが催淫関係なく自分の心からのものだったかのかと、その事実に驚く。
「先輩。催淫なしのキス、またしたいですかぁ?」
「あ、ああ。でも、もう我慢できないけどいいんだな?」
その言葉をサキは予想していなかったのか、今まで見た中で一番の笑顔を向け、目を輝かせる。
「もちろんじゃないですかぁ。今度は先輩から来てください」
そう言いながら腕を広げるサキに吸い寄せられるようにして今度は自分からキスをする。そして、唇を離し、首筋に歯を突き立て、サキを傷つけそこから流れる血を飲んだ。
それはとても甘美な味だった。他の吸血鬼がハマる理由がわかる。
夢中になって血を飲み、サキを強く抱きしめる。
「う、うぅ……あん。せ、先輩。がっつき……過ぎですよぉ」
その喘ぎ声のような声にハッと我に返り、サキの首筋から口を離す。ポタポタと血が垂れてベッドのシーツに赤いシミをつける。
「す、すまない」
「いいんですよぉ。先輩。吸血童貞卒業おめでとうございます」
「その言い方はやめてくれよ」
「どうしてですかぁ?」
「な、なんでもねえよ」
目の前のうっとりとした表情で見つめてくるサキを見たら、吸血衝動に襲われそうになってしまう。
「せんぱーい。まだ血が欲しいですかぁ?」
何も言えずに黙っていると、
「いいんですよぉ。死なないように加減してくれるなら、私はいつでも――」
と、甘い声で囁いてくる。せっかく我慢しているのにそれは悪魔の囁きだ。
「それともぉ、先輩。もう一つの童貞も卒業しちゃいますかぁ? ここベッドの上だしぃ」
こいつなんてこと言いだしやがる。
「私もそっちは初めてなんでまた血が出ちゃうかもしれませんねぇ」
そう言いながら覗き込んでくる。ただでさえサキの血のついたシーツがあるので生々しさが倍増する。
「そ、それは段階を踏まないか? ま、まずはデートしてだな、それで恋人になって――」
「先輩、私とデートしてくれんですかぁ?」
「あ、ああ」
「嬉しいですぅ。でも、先輩」
「な、なんだよ?」
サキの不機嫌そうな目を向けてくる。それが心底意外に思えた。サキはこうなることをずっと望んでいたはずなのに、何が不満だというのか。
「先輩にとって私ってなんなんですかぁ?」
「こ、後輩?」
「先輩、怒りますよぉ?」
サキの抗議の目が痛い。背筋を伸ばし、ひと呼吸を置く。そして、真っ直ぐに目を見つめる。
「順番がおかしくなったが、好きだ。付き合わないか?」
顔が熱い。きっと照れて真っ赤になっている。それは目の前にいるサキも一緒のはずで、いつもの甘い声での軽口を言うのを忘れ、首を何度も縦に振っている。
でも、今は窓から差し込む夕焼けが全てを赤く染めているのだと思おう。
これからは、自分の身には訪れないと思っていたリア充でハッピーな吸血ライフが始まる、はずなのだが、サキのキスの後の甘いという言葉が意味するところだけが不安だ。
吸血鬼とサキュバスという相性がいいようで不毛な関係の結末は――――。
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