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一目《ひとめ》一目に人見ごろ?(一夜《ひとよ》でしょ)
私の行動は、かなり思いつきで構成されている。家に居るとその傾向は顕著だ。
先日、納戸の片付けをしていて、ネックウォーマーの編みかけをみつけた。
続きを編み始めるとおもしろくなり、次の日には仕上がった。
編み物は私が幼稚園の時から続けている趣味だ。始めこそ教えてもらったが、後は本を見て覚えた。小学生で図を見てマスターしたのだから、正に好きこそものの上手なれ、だ。
編み物には設計図になる、編み図がある。その通り編んでいけば、見本通りに仕上がるかというと、そう簡単ではない。
まず指定の糸が手に入るとは限らない。よしんば本と同じ糸だとしても、きつく編む人やゆるく編む人がいて、個人差がある。
けれど、それを調整して希望の大きさにする方法はある。
ここが、重要だ。
もし一段編んでいて、編み目の数が足りなかったら、目立たないところで一目増やせばいい。
もし編み方が違っていたら、そこまでほどいて編み直せばいい。
そう。
間違えても、直す方法がちゃんとある。編み物は心が広―いのだ。
「なんくるないさあ」と言う沖縄のオバアのごとき、ゆるーい柔軟性が、私に合っているのだと思う。
しかしこれは、あくまでも私の主観である。
きっちりした性格の人は、編み方や、糸の引き具合も一定で、編み目のそろった美しい仕上がりになるだろう。一目足りないとなると、どこで間違えたのか追及するだろう。
優しい性格の人は、でき上がって身に付けて出かける時のことを思い浮かべながら、楽しく針を動かしているかもしれない。すると、ふんわり柔らかい作品に仕上がるだろう。
それほど、編む人の「手」で変わるものなのだ。
さて、編み物モードにシフトした私は、さっそく毛糸を買いにいった。
本に載っていた作品が気に入り、初めての編み方に挑戦している。
編み物は、目の数を数えながら無心になれるところもいい。
時間はかかるが、出来上がりをイメージしながら作ると、完成に行きつく。
それは、小説を完結させる作業と似ているかもしれない。
まあでも、編み物は見本が示されているが、小説は自分の頭の中にしかない。
それに何も無いところから生み出すのだから、錬金術だ。魔術だ。
エブリスタの中には、何人の錬金術師がいることやら。
みなさんは、それだけ凄いことに、日夜取り組んでいるのですよ。
思いつきで行動する私は、しばしば脇道に逸れる。
好きなことはいくらでも続けていられる。執筆も編み物も、何時間していても飽きない。肩もこらない。
けれど、そうでないものはなかなか終わらない。
何か忘れている気がする。
ああ、そうだった……。
納戸の片付けが途中だったんだ。
これも馬に人参ぶら下げるように、ごほうびでも思い浮かべながら、作業すればいいのでは?
はーい、がんばりまーす。
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