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女は愛嬌は、死語?
うちの娘が周りから言われて嫌がる言葉がある。
「女の子なんだから」「女だから」などといった言葉だ。
わが家は3世代同居家族なので、世代のギャップが数多ある。
例えば、私が夕食作りに孤軍奮闘しているところへ、娘がやって来たとしよう。
「お腹すいた。ご飯まだ?」
すると母(義母)が、小鼻をふくらませて進言する。
「早く食べたいんなら、手伝いなろ。女の子なんやで」
私はキャベツを千切りしながら、内心、あーあ、言っちまったなあ、と舌打ちする。
娘の表情で、カチンと来てるのが見て取れる。
「それ、嫌やっていつも言うてるやん! 何で女やからって理由で私だけが手伝わんとあかんの」
確かに母は、息子にそんなことは言わない。娘はそれが分かっているから、なおの事腹が立つのだ。
「ほんなもん、女が台所仕事するのは、当たり前やわね」
「ふん。プロの料理屋は、男の板前やシェフばっかりやけどね」
娘は目を三角にして言い返す。
けれど小娘の剣幕になぞ、たじろぐ母ではない。ふんと鼻で嗤う。
「そんなこと言うてたら、お嫁に行って、なあも出来んて恥ずかしい思いすることになるんやざ」
ああ……。
よりにもよって、その言葉を今言うか。
「はあ? 別に嫁に行く予定なんて無いし。ちょっとお腹すいたって言うただけで何でそんなこと言われるんやって。手伝う気力なんて失せたし」
元々手伝う気など、あったのかどうか怪しいものだが、これで完全にへそを曲げてしまった。足音高く、自室に戻ってしまう。
「あの子にも困ったもんやわ。あんなにてなわん(気が強い)のでは、思いやられるのお。もうちょっと家事とかさせなあかんざ」
ふう。
娘が何に憤慨しているのか母にはわかっていないので、また同じようなやり取りが繰り返されることになる。
ジェンダーレス社会になってきた。
私たちの学生時代は、出席番号は男子から始まり、女子は後から続いていた。私が会社員の頃に、男女雇用機会均等法が施行された。
娘が小学校に入学した頃には名簿は男女関係なく50音順で、名前の呼び方はどの子も名字の「さん」付けだった。娘はそういう時代を生きてきた。社会はそのように移行しているのに、「女だから」と時代錯誤なこととを押し付けられて憤るのだ。
まあ男女平等と言っても、体力や能力の違いや差はあると思う。いやそれは、男女と言うより個々の能力の差か。家事が得意な男性が、主夫をしたり、ハウスキーピングの仕事をしていたりする。か弱い女性がトラック好きで大型車を運転していたりする。得意な分野を自由に選択できるようになった。
昨日、私は力の無さを実感した。「無力」ではない。文字通り「力の無さ」だ。モッコウバラの枝が何本も伸び放題になり、まるで枝垂れ柳状態だった。今までは夫が切ってくれていたのだが、植えた私が何も手入れをしないと言って、してくれなくなった。それで高枝切りバサミを初めて使ったのだが、枝を挟んでもパチンと切ることができなかったのだ。左手で支えて、右手だけで握って切ろうとするのだが、ダメだった。こんなに握力が無いとは思っていなかった。こういう時は我を張らずに交代してもらえばいいと思う。
どう頼んだらもう一度してくれるだろうか。
「お願い」
往年の大原麗子のように言ってみようか。
娘よ。「女」を使ったら、ダメかな?
え? どのみちママには、そんな手は使えない? ふん。失礼な。
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