桃栗三年柿八年

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桃栗三年柿八年

 実家の栗が生ったので、弟が届けてくれた。  袋から出してみると、大きなボウルに一杯分ある。  大きさは、まちまちだ。  水洗いして、大きいのと小さいのに分ける。ゆで時間に差が出てくるからだ。 栗ご飯とかリクエストが上がる前に、さっさとゆでる。あれは鬼皮を剥くのに一日仕事になる。 私はシンプルに、ゆでて食べるのが好きだ。  選り分けているうちに、虫食いの栗がみつかる。皮に艶があって大きいと惜しい気がする。食われたところだけ切り落とせば食べられるのでは、と残したくなるが、その思いをすんでのところで断ち切る。虫に食われた栗は、味がガクンと落ちるのだ。あーあ、とゴミ袋に放り込む。  この栗は、弟の木から採れた栗だ。  私は妹と弟の3人姉弟だが、父は私たちが生まれた時に、実の生る木を植えた。  私と妹は甘柿だ。割ると、柿色の実にえんじ色の細かい線が入っている。あれが甘い証拠のようで、気に入っている。他の柿は食べなくても、マイ柿の木の実は大好きだ。  弟が生まれた時には、栗の木を植えた。  早生栗で、9月の始めにはもう実が生る。  しかし、それがいけなかった。稲刈りの時期と重なるのだ。  忙しなくしている。  稲刈りが終わる頃に、やっと「あれ? 今年の栗の生りはどうやろ」と気付く頃には、もうイガから下に落ちた後だった。  その落ちても拾わなかった栗から芽が出て大きくなり、林になってしまった。今では5本生えている。  他の栗ではどうなのかは知らない。実家の木に限って言えば、木が若い頃は実が大きかった。生る数が少なかったからだろうか。今は大きさは小さくなったが、甘さは増したように思う。  先ほどの栗を選り分けて、大きい実だけゆで始める。  ボウルに水を張り、その中に小さい実をザザっと入れる。すると、水面に浮く実と沈む実がある。沈むのは、充分に実が詰まっているということだ。「充実」の言葉を実感する。 「実入りがいい」とかいう言葉もある。 「実際」は実の側にいること、「現実」は目の前に実があること。「実」は「リアル」という意味で使われることが多い。木の実が山と積まれている姿がイメージできるからかもしれない。  ちなみに、皇室行事である歌会始の儀が毎年初めに行われる。令和3年のお題は「実」の字だ。締め切りは9月末とのこと。「実」の字が入っていれば問題ない。道草を読んで情報を得たのも何かのご縁。一度応募してみてはいかがだろうか。  さて、栗だ。水に浮く実が多かった。ゆでてはみたが、心配なので包丁で2つに割ってみた。予想通り、スカスカの実もある。大丈夫なのはスプーンで取り出し、もう一度ゆでて砂糖を入れて、栗きんとんにしようと思う。お正月のお節に入っているようなのではない。岐阜の名産にあるような、栗の実だけをこして濡れ布巾でキュッとまとめた栗きんとんだ。  せっかくの秋の味なので、しっかりと堪能したい。  ああ、実家の母への報告も怠らずにしなければ。  今日の風は涼しく、爽やかである。
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