第二章 輪廻の種子・麗しの舞姫

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 締め切ったカーテンの隙間から、白い朝日が差し込む。  これは悪い夢、きっと長いだけ―――。  そんなことを言い聞かせて布団に入って、目が覚めると、やっぱりこの部屋で。  そんな不毛な行動を何十回繰り返してきたのだろう。  アイーダは落胆のため息をついた。 「くわぁ~ぁ。おあよぅ・・・・・・。みつこぉ」  枕元でムーニャが、もぞもぞ動く。  昨夜は空中で寝ていたが、夜中のあいだに移動したらしい。 「おはよう」  惨めったらしい気持ちで目いっぱいな自分を、アイーダは、なんとか持ち上げた。  身支度を整えたアイーダは、部屋を出て鍵をがっちり掛けた。  とは言っても、鍵はひとつしかないのでピッキングされたら一発でアウトだ。  それでも、開けっ放しよりは気持ち的にマシである。 「アイーダぁ。盗まれるモノなんか、なんにもないんだから鍵かけなくても」  王宮は大勢の人間が出入している。  敷地内にある、この質素な宿泊施設にだって泥棒が来ないとは言い切れない。  貞操の危機皆無なだけに、ムーニャはどこか他人事だ。 「あんな気持ち悪い男だらけなんだから、保険よ保険」 「役立たずな保険だねぇ。前の時だって、ホケンなんて、どこも似たようなもんだったよね。別にそこまでしなくたって、ここは電気もガスもないセカイだよ超あなろぐだよ。盗撮も盗聴もないよぉ」  毎晩、化粧落とし用の湯をもらいに厨房へ行った際、薪で火を起こしているのが見えた。  明かりも蝋燭と洋燈なだけに、室内にいながらアウトドアをしているかひと昔前にタイムスリップしたみたいである。  どっしりとした白い石造りの長い渡り廊下は、大広間のある宮殿内とは、ちがい絨毯が敷かれていない。  がらん、とした空間にアイーダの足音と鳥の囀りだけが響く。  澄んだ空気に、朝日のカーテンが揺らめいた。  窓枠に寄りかかると微風に頬を撫でられる。  この時間、起きているのは王宮勤めの者だけだ。  宴の後、一晩中身体を交えている客人たちは、まだ 夢の中である。 「ねぇねぇ今日のブラック・ファストは、なにかなぁ?」  一文字間違えているムーニャは、飛び回りながら窓辺の鳥に舌なめずりしている。 「ムーニャ。今は狩り遊びをしなくてもいいからね」  猫は飼い主を“狩りのできない猫”と思うらしい。  ねずみや鳥を捕まえて猫が飼い主の元に持ってくるのは、狩りのお手本を示しているつもりなのだと言う。  クロも例外には漏れず、よくゴキブリを捕まえては、みつ子にプレゼントしてきたものである。 「見てるだけだも~ん。おっ、イタリアンな匂い!」  ムーニャがピン、と髭を立てる。  渡り廊下の先からトマト煮込みのような匂いが漂ってくる。  一座が使用している食堂は宿泊部屋の向かいあり、この渡り廊下で繋がっていた。 「きのうの宴会の羊肉おいしそうだったよねぇ~」 「いつのまに見ていたのよ」 「ん~?アイーダが舞台に出るちょっと前に下見を~と思ってさぁ」  ゴロゴロと喉を鳴らし、アイーダの頬に頭を擦りつけてきた。 「相変わらずこんな時ばっかり」 「クロの時はさぁ~、乾いた粒粒しかもらえなかったもぉん」 「猫はキャットフードが、いちばん栄養的に良いのよ」 「だからぁ、今は好きなモンが、たらふく食えてラッキ~」  同じふわふわした感触とぬくもり。アパートでクロと遊んでいた頃を思い出す。  アイーダにとって、ムーニャは今も昔も大切な家族だ。 「アイーダァ~?」  ジャスミンが欠伸をしながらこっちへ歩いてくる。 「ジャスミンさん。おはようご・・・・・・」  挨拶しかけてアイーダは、目が点になる。 「アンタ、また、ひとりィッ?よォッく、毎晩冷たいフトンで寝られッわねェ」  ジャスミンは癖のついた赤茶色の髪を下ろし、寝台の白いシーツを羽織っている。 「服はっ?」 「エェ? アァン、カービド様と一晩中ヤッて服がぐっちょぐちょになっちゃってェッ‼」  シーツもぐちょぐちょだけど、とケラケラ答えるジャスミンに眩暈がする。  よく見れば、シーツにも、あちこち大きなシミ。  情事後の特有の匂いが鼻に突き刺さった。  シェラカンドに来た直後からアイーダは何度も、この匂いを嗅いだ。  目の前にいるジャスミンと同じく、シーツ1枚の踊り子たちと食事を囲んだこともある。だが、馬車の中といっしょで誰も気にも留めなかった。  その恰好から何をしていたのかは、アイーダにも見当がついていた。  しかし、食事中に不快な匂いが充満して気持ちが悪い。  経験のないアイーダは最初なぜ、こんな匂いがするのか分からず、行為と匂いを結びつけては考えなかった。  いや、考えたくもなかったのである。  だが、毎度毎度漂ってくる不快な匂いの正体にもやもやは募り・・・・・・。  ある時思い切って、ゆったり口調のタラーイェに尋ねたところ『あらあら・・・。見た目は成熟しきっているのに、中身は、まだまだ青さが残っているのね』と言われてしまった。  情事後の匂いだと確定した時は、脳内で花火が連続で上がって失神するかと思った。  「そんな、あれ舞台衣装ですよ」  くらくらし始める頭で、アイーダはなんとか理性を保ち、ジャスミンに話しかける。 「平気よ平気ィ、アタシらのチップ、どォせ座長がピン撥ねしてんだしィ‼ソレにカービド様、ワタシの匂いのついた衣を手元に置いておきたいって・・・。イヤン」 「~~~~~~~~~~~!!!」 「落ち着きなよ、みつ子。この世界じゃ、これがふつーなんだから」  ムーニャが、気にすんな、と諭すが、もう羞恥で頭が爆発しそうだ。 「やっ、やっぱりダメです‼わたしが洗いますから返してもらってください」 「エェ~~~?」  ジャスミンは何がダメなのよと言いたげな声を上げる。 (どう考えたって、いいわけないじゃない!)  アイーダは着替えを渋るジャスミンに案内をさせ、王宮内の貴賓室に走った。
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