第二章 輪廻の種子・麗しの舞姫

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「はいはい‼もっと手足をくねらせて。腰をなまめかしく振って」  座長が踊り子たちの動きに指示を飛ばす。  アイーダにとっては、生き地獄の朝食が終わり、休憩を挟んで今夜の稽古が始まった。  楽師たちの嚠喨(りゅうりょう)な調べに乗り、踊り子たちはベールの両端を持って舞う。  絹の薄膜が宙にたなびく様は、水中のような、宇宙のような、武骨な白壁の部屋を、幻想的な空間へと作りかえる。  そして、無重力に飛び交う絹の群れの中から、虹色に輝くベールを頭上にかざしたアイーダが現れた。  ベールを羽衣のごとく操る姿は、さながら天女だ。 「はあ。ほんッと別人。いッつもそうやってなさいッてのォッ‼」 「踊ってる最中のアイーダなら、一夜で十人は殿方を食せそうね・・・・・・」 (それは全然うれしくない)  ジャスミンとタラーイェの誉め言葉に聞こえないフリをしながら、アイーダはベールに魂を吹き込む。  ふわふわと舞う虹色の幕は、非現実的なこの世界のようにも思えてくる。  アイーダ自身は、今この瞬間も手足を動かして踊っていて、異国情緒溢れる音楽も、壁に染みついた埃っぽいスパイスの匂いも、鮮やかな絹の群れも確かに存在するのに。  波打つ鼓動も、全身でしっかり感じるというのに。  この現実は、夢を見ているとしかアイーダは思えないのである。  その夢としか思えない考えを毎朝目を覚ます度に、否定されているのだが。 「いいよぉアイーダっ‼今夜こそジャービル王のお相手をしておいでよっ‼」  音楽が止まった途端、座長が、ひときわ大きく手を叩きながら念を押してくる。 「素敵だよ。アイーダ!」  拍手とともに賞賛の声が上がる。  アイーダが声のほうを見ると、小脇に籠を抱えたルトが戸口に立っていた。 「わぁっ‼無花果(いちじく)ぅ~‼」  窓辺で日向ぼっこしていたムーニャが大の字の体勢で飛んでくる。  アイーダは、おおあわてで真剣白羽どりの如くムーニャを捕まえた。 「アンタ食い意地だけは、しーっかり張りまくってるわよね」  じとっとしたジャスミンの視線が痛い。  ムーニャの姿が、周囲の人間には見えないと分かってはいても、ついつい止めようとしてしまう。  空中に手を掲げている恰好は、アイーダが無花果に突進しようとしているようにしか見えない。  アイーダが愛想笑いで誤魔化していると、ルトが無花果の籠を差し出してきた。 「みんなに無花果をと思って」 「ありがとうございます・・・・・・」  アイーダがおずおずと籠を受け取ると、ひゅーぅと笛の奏者が指笛を鳴らせば踊り子たちもふたりをはやし立てる。 「さっすがはアイーダのダンナねェ~。おアツイわァ~ッ‼」 「ジャスミンッ!」  怒涛の冷やかしに抗議するアイーダは受け流され、稽古は途中休憩へと、なだれこんだ。 「あま~っ‼無花果を知らん奴は、猫生(じんせい)損してるねぇ」  渡り廊下の窓辺に座ったムーニャが、はしゃぐ。  口の周りは無花果の果汁で、べったべた、だ。  アイーダは木綿布で拭ってやる。 「んみゃ。さんきゅう。シェラカンドは天国だにゃぁ」 「ねぇ、ムーニャ。この無花果もシェラカンドで採れたものなの?」 「モッチロン~。だってココは砂漠のど真ん中だよぅ。他のトコで採れたモンなら持って来るまでに腐るの通り越して干物になっちゃうよぉ。あ、ドライイチジクは、おいしいけっどねぇ。ブルーチーズ挟んでさ!」 「そうよね」  アイーダは自分の手の中にある無花果を見つめた。  シェラカンドに来て一ヶ月経つが、一度も雨が降っていない。  砂漠は雨季と乾季に分かれている。  今が丁度乾季なら、何ヶ月も雨が無いのも普通ではある。  オアシスの周りに作られた国と言われれば、それまでだが。  宴や踊り子たちの賄いで出される食材は、オアシスのそれを上回っているし、宮殿の敷地内だけでも、野球場くらいの広さを有している。  シェラカンド内にいる全ての人間を抱え込むのは、考えるまでもなく不可能だと分かるだろう。  野性味のある甘い芳香の、とろっとした果肉を齧りながら、アイーダは、ぼんやり考えていた。 「常識的に考えない方がいいよぉ。ここは奇跡の都・シェラカンド。オイラとみつ子がいた次元とは、ちがう場所なんだから」  ムーニャは満足満足と、前足で顔を洗う。
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