第二章 輪廻の種子・麗しの舞姫

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 太陽が身を潜め、月が輝きを増す頃。    昨夜と同じく大広間では、王侯貴族たちが浮世の憂さを忘れていた。  見た顔も多数いれば、初めて見る顔もいる。  美味い酒と料理に舌鼓を打ち、欲に溺れる。  今宵も色情狂の宴である。  客の目の前を、ベールを手にした踊り子たちの群れが交差しながら、一夜の空気に膨らむ。  昨夜とは逆に、今夜はすべての蝋燭が火を灯している。  より、はっきりと見える踊り子たちの体を、男共は食い入るように見ていた。  群舞の後、アイーダは、ひとり虹色のベールを手に踊る。  男共は一瞬で釘付けになった。  燈火の中、絹を翻し舞う姿は芳容の天女。 「見ましたか。あの熟れた西瓜のような乳房を」 「揺れる優腰が、また艶めかしい」 「まったく、あんな大きい胸と尻なんて邪魔なだけだわ」 「あの、か細い色素の薄い髪! 整えてもいないのね」  骨抜きにされた男たちは淫靡な視線と下劣な言葉を、女たちは千の棘を言葉に乗せる。  棘を生やした汚泥とも称するべきだろう。  それは、べちゃべちゃと舞台でひとり舞うアイーダに投げつけられていく。  何度舞台を踏んでも、この遊郭のような空気に、アイーダは慣れない。 (どうして、わたしは踊り子なんてしているんだろう)  どうせ踊るなら別のジャンルが良かった。  踊ること自体は嫌ではない。  衣装だって露出は高いけれど、煌びやかな装飾と鮮やかな色使いはエキゾチックで惹きつけられるものがある。  ただ、どうやっても受け入れられないのは、性に奔放過ぎる環境だ。  アイーダが、くるり、と体を回転させた時、視界の端にルトの姿を捉えた。  『キレイだよ』とルトが手を振る。  少し気持ちが軽くなり、アイーダが微笑み返した瞬間だった。  ゾクリ、と背筋が凍りつく視線を感じる。  舞ながら、その視線の正体を探ろうとアイーダは客席に目を走らせた。   (ヘサーム王)  その視線の正体は、やはりシェラカンド王のヘサームだった。  青絹の隙間から覗く、二色の鋭い瞳がこちらを見つめている。  相変わらず寝椅子に脚を組み、頬杖をついていた。  一切感情を伺い知ることができない表情に、アイーダの恐怖は増していくばかりだ。  舞踏による汗といっしょに、冷たい汗が素肌を伝っていく。   振り切っても振り切っても、ヘサームの視線はアイーダの動きを封じるように、執拗に追い回した。  アイーダはベールを広げる振付に乗じて自身を隠す。  腰の鎖飾りがシャラシャラと小刻み揺れた。  もはや他の男共の視線など感じる余裕はない。  蠍の毒に犯されたように、幾何学模様の床の上でアイーダは、のた打ち回った。  やっとの思いで踊り切り、アイーダは客席に向かい、お辞儀をする。  止まった瞬間、どっと噴き出す汗の上を、恐怖による冷たい汗が覆っていく。  ばくばくしている心臓と、乱れる呼吸。    三分間の舞踊が、まるで一、二時間の長さに感じた。  ふたたび舞台へ戻ってきた踊り子たちと、観客への挨拶を済ませ、アイーダは広間から退室した。   (これでヘサーム王の視線から解放される)  アイーダは、そう安堵していた。  しかし、座長が踊り子たちに銀貨を渡している間も、アイーダの全身は震えたままだった。  汗を拭っても真っ黒なポンチョで体を隠しても——。  ヘサームの視線から逃れることは、できなかったのだ。
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