第二章 輪廻の種子・麗しの舞姫

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(いったい、なんなのよ。王宮で初めて踊った時から、ずーっとこっちを睨んで)  体は火照っている筈なのに、アイーダは大量の氷水をかけられている気分だった。  どかどか、と廊下を走っていても、足がプールの中浮いているみたいだ。 「ちゃんと前見ないとアブナイよぉ」  アイーダのすぐ横を飛ぶムーニャが心配する。  その心配を暗示するかのごとく、真っ黒な口髭を生やした男が待ち伏せていた。  五十代くらいで見覚えのない顔だ。 「アイーダッ! 是非とも舞台の次は私の上で踊り狂っておくれっ」  もし会ったことがあったとしても、色欲まみれの集団のひとりにしかすぎない。 「困りますっ・・・・・・。わたしはどなたのお相手も致しません」 「そんな行けずは知らないよ。昨晩もジャービルの誘いを断ったらしいが、ワタシはあんな立ち枯れとはちがう」  —ーそういう問題じゃない。 『ジャービル王』と呼ばないところからすると、この人物も国王なのだろう。 「噂では、その年齢で未だに生娘だとか」  ニヤニヤした顔を近づけ試すような目つきで囁かれた。 「どうせ何人もの男共を垂らし込んだんだろう?その淫らなカラダで―――」  アイーダはカァッと顔が熱くなる。  ほとんど初対面の人間に、なぜ、こんなことを言われなければならないのか。  体中の血が逆流し、どくどくと音を立てるのを感じた。 (どうして、この世界の男たちは、みんなこうなのよ)  恥辱に気が狂いそうになる。  アイーダは臙脂色の絨毯を凝視して黙り込むしかなかった。 「ん~? 何を恥らう芝居をしているんだい? この世は男も女も肉欲に正直なものだろうに」  怒りに震え、アイーダは、ぎゅっとスカートの裾を握りしめた。 「今の言葉撤回しろ!」  後方から近づく声にアイーダは、ぱっと顔を上げる。 「なんだ。ムグニィの弟ではないか。シェラカンドに逗留して既に、ひと月経つそうじゃないか? 未だヘサーム王を落とせないとか。無能な商人が出しゃばるでない」  国王は髭を弄りながらルトを(さげす)む。 「彼女を汚い目で見るなと言っているんだ」  だが、ルトも、ひるむことなく国王に食ってかかった。 「なんだ? おまえらの国では男女の営みを禁ずる法でもあるのか?」 「下等動物には、何言っても通じないな」 「きさまぁッ‼田舎商人の癖に王に向かって‼」  ルトの挑発に、国王は腰の佩刀に手をかける。 「おっと、やめておいたほうがいいですよ! この王宮は魔神(ジン)がウヨウヨいるそうですし。今朝だって剣を抜こうとしたジャービル王が、魔神に灸を据えられましたし。国王様もヘサーム王との取引にいらっしゃったんでしょう。問題は起こさないほうがお互いのためじゃないですか?」  ルトは両腕を上げて肩を竦めて見せた。 「チッ!」   国王は片方の目を大きく見開き舌打ちをすると、しぶしぶ去って行った。  やはり、生身の人間に魔神は恐ろしいものなのだろう。  一時のいざこざで、ヘサーム王の不興を買い、取引に差し支えては損をするだけだ。 「ありがとう」 「いや、もっと早く来られたらよかったんだけど。兄さんと打ち合わせがあって」 「ううん」 「本当に、もっと早く来られればよかった。そうすれば君にあんなヤツの言葉を聞かせないで済んだんだ。・・・・・・他の商人から聞いたんだけど、アイツら、誰が早くアイーダをモノにできるか賭けているらしいんだ。どこまでも見下げ果てたヤツらだよ」 「そう・・・・・・、な の 」  余りの事実にアイーダは絶句するしかない。  まるでモノ扱いだ。  奴隷と変わらない。 「きっと、ヘサーム王もそれを知ってて、一座を王宮に縛り付けているんだ。君を餌にして最低な男だよ」  ヘサーム王から『宴の目玉として、宵の翠玉に舞ってもらいたい』と依頼を受けた。  それは座長からも聞いている。  踊り子たちが盛り上げることで、他国の交渉が上手くいくのはアイーダだって想像がつく。  踊ることが仕事。  十分理解しているつもりだ。  でも、売るのは踊り、“芸”であって、踊り子自身の体ではないはずだ。  アイーダは持論の通じなさを改めて痛感するしかなかった。  なんだか頭が、ぐらぐらしてきて、ふたたび視線を落とした。 「今日の踊りも、すごく綺麗だったのに。アイーダには、こんな汚い場所じゃなくてもっと綺麗な場所で踊ってもらいたいよ」 「ありがとうルトさん」   ルトの言葉に、気持ちの悪さが緩和される。  顔を上げてアイーダは、わずかに微笑んだ。 「あ、のさ。アイーダ、丁度、星がキレイに見える場所を見つけたんだけど、いっしょに見ないかい?」  遠慮がちなルトの誘いにアイーダは頷いた。   まだ不快感が残っているし、立っているのも億劫だった。  けれど、こんな、どろどろした気持ちのまま、眠りにつきたくはなかったのだ。
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