第三章 剥き出しに 芽吹き 果肉は柔い ☆

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「くちづけなど、些細なことだろう」  初めて聞くその声は威厳に満ちていた。  その男は不敵な笑みを浮かべ、アイーダを見下ろしている。 (まさか、ヘサーム王がいるなんて)  いつも青絹で覆い隠されていたから、その素顔を知ることはなかった。  この鋭い左右色の異なる瞳は、まちがいない。 (ど、どうしよう・・・・・・っ)  舞台越しに見ていた時も恐怖したが、ヘサームの毛先が頬につく、この距離では、ものすごい威圧感だ。  ヘサームは膝をついてはいるが、背丈は2m以上ありそうである。  アイーダは胃が押し潰されるようだった。  咽かえりそうな麝香(ムスク)の香りが鼻孔に入り込む。  端荘(たんしょう)且つ野生的な顔立ちと滑らかな褐色の素肌。  月光に冴える、長い烏羽玉(うばたま)の黒髪は緩やかな大河のように流れている。  幾何学模様の刺繍が施された羽織(シャルワニ)が、気品を漂わせていた。  広い肩幅は、さっきの男とは比べ物にならないほど(たくま)しい。  アイーダは恐怖しながらも、ヘサームの神秘的な美しさに息を呑んだ。  暴れる心臓が苦しい。  喉はカラカラで砂漠みたいになっていた。  頭の中も落ち切ってしまった砂時計のようで何も考えられたかった。 「あんな輩の口車に、あっさり騙されるとはな」  ヘサーム王は、くい、と右手で掴んだアイーダの顎を動かす。  品定めをするかのような態度に、アイーダは強い侮辱を感じた。  乾ききった喉をどろどろになった鉛が這い上がってくるみたいだ。  どうやら親指には指環が嵌められているらしく、薄い皮膚越しに冷温をうつしてくる。  心も軀も震えるばかりで瞬きすらできなかった。 「うわああああッ‼」    小さい子供が泣き喚くような声。  その声はアイーダの左耳から右耳へと一気に抜け、ガチガチになっていた彼女の思考を動かした。
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