第三章 剥き出しに 芽吹き 果肉は柔い ☆

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「ムーニャっ?」    ヘサーム王の手に囚われて、首は動かせない。  アイーダが震える手でムーニャを撫でると、ガタガタ震えていた。  アイーダの指先に触れた体毛は、べったり濡れている。  本来、猫は足裏にしか汗をかかないが、ムーニャは人間と同じく全身から汗を出すのだ。  今朝も魔神が現れた時震えていたけれど、それとは比べものにならないくらいムーニャは怯えていた。 「面白い翼猫(ペット)を連れているな」  ヘサーム王の言葉に、アイーダは、どくり、と大きく心臓が跳ねた。 「見え、る、の・・・・・・?」  アイーダの問いに答えることなく、ヘサームは切れ長の目に怪しい光を灯している。   アイーダの顎から、ふっと熱が離れた。  と、同時に彼女の左肩にある、ちいさな体温も剝がされていく。 「にゃああああああッ‼アンタはマリッドの匂いがキツ過ぎて吐いちゃいそうだよぉっ‼」  ヘサームに首肉を摘まれたムーニャが、バタバタもがいている。  耳と尻尾が、ぺしゃりと潰れたように垂れていた。 「やっ・・・・・・、やめてっ・・・・・・。はなしてっ・・・・・・‼」  ムーニャを取り返そうとアイーダは身を乗り出し、四つん這いになった。  必死で手を伸ばそうとするが、恐怖が先行してしまい空を掴むばかりだ。 「謁見の際も連れていたな」  アイーダの脳裏に初めてシェラカンドへ来た時のことが思い出される。  謁見の間で一座が王に挨拶した際も、ムーニャはアイーダの髪に潜り込み、ぶるぶる震えていたのだ。 「げげぇっ! やっぱりぃ。どぉりで、ちらちら目が合うとっ・・・・・・ふぎゃにゃああぁぁぁぁ・・・・・・―――」  ムーニャの叫び声が急激に遠ざかる。 「っ・・・・・・!」  咄嗟のことにアイーダは、声が出なかった。  なんと、ヘサームが、ムーニャをぽいっ、と柱の間から放り投げてしまったのだ。  あっというまにムーニャは夜闇の彼方へ消えてしまった。 (ひどい。動物を投げるなんて)  やはり、イメージしていた通りの人間だとアイーダは再認識した。  ルトからの情報だったし、すべてが本当かどうかは怪しい。  今となっては、そんな考えても浮かんでいた。  だが、目の前で行われた、ヘサームの振る舞いで分かった。  ――ヘサーム王は冷酷非情な人間。  きっと毎晩女を貪っているから、ちいさな動物にも乱暴をする最低の奴なんだと。  唯一の家族を乱暴に扱われ、アイーダはヘサーム王を睨んだ。  けれど、ヘサームは意にも介さず淡々としている。 「自力で飛べる生物を宙に投げたところで何も問題はないだろ」  「羽根が生えているからって、いきなり放り投げるなんて虐待よ!」  飛べる飛べないの問題ではない。  それは元々備わっている体の機能というだけだ。  噛みついたのを手で払ったなどであれば話は分かる。  でも、たった今、ヘサーム王がムーニャにしたことは一方的な暴力にしか過ぎない。 「ほぅ。しおらしいと思っていたら気が強いんだな」  アイーダは、ふたたび顎を掴まれた。 「っ・・・・・・」  不意に親指で唇を撫でられる。  柔らかな薔薇色の唇は、武骨な褐色の指先に蹂躙されていく。  僅かにシャーベット水のべたつきが引っ掛かった。  先ほどのルトとのキスがフラッシュバックする。 (なんであんな男に騙されちゃったんだろう?)  アイーダの目から涙が、ぼたぼたと落ちた。 「たかだか口づけごときで」  ヘサーム王の呆れた声に、ますます涙が溢れる。 (他の女性はキスくらい平気なんだろうけど、わたしにはショックだったのよ)  言い返したかったけれど、嗚咽が止まらなくて、言葉にはならなかった。  ヘサームが懐から何かを取り出す。  しかし、泣くことに夢中のアイーダは気がつかずにいた。 「んっ」  いきなり唇を塞がれアイーダは吃驚する。  男性とキスするのは、まだ二回目。  でも、さっきのものとは比べ物にならないほどだ。  ヘサーム王のキスは、とても鮮烈だった。  体中に熱が駆け巡る。  強張っていた体が緩んでいく。  火を灯した蝋燭のロウみたいに溶けたようだ。  それを見計らってか、ヘサーム王は舌を尖らせて合わさったままの唇を割った。  「ん、つ、ふっ」  意識がぼんやりとしていたアイーダは口の中に侵入してきた舌に、はっとなる。  その瞬間、にゅるりと、ヘサーム王の舌に自分の舌を絡め取られてしまった。 (これってディープ・キス?)  キスすら人生初めてだった人間に、舌同士でのキスは強烈過ぎる。  次々に起きる災難としか言いようがない事態にアイーダは混乱した。  もはや、なぜ泣いているのかすら分からなくなっていた。  蛇みたいに、すり合わされる舌にアイーダは翻弄される。  とろけていた体が今度はぞくぞくと震えが走った。 (何? 甘くて丸い・・・・・・。飴玉?)    いつのまにか、ヘサームの舌とは別のものが口の中にある。  飴玉を口に入れた覚えはない。 「ん、ふっ」  それが何なのか確かめる暇はなかった。  ヘサームの舌がアイーダの口の中全体を動き回ったからだ。  唾液の混ざり合う音に羞恥心が煽られる。   まるで食べ物を味わっているかのように――いやアイーダ自身を味わっているかのようだった。 「んっんんっ」  つう、とアイーダの口端から唾液が垂れていく。  ディープ・キス自体を受け止めるのに必死で、アイーダは飴玉のようなものをごくりと飲み込んでいた。        
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