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寝台の上に畳んだ舞台衣装を見やる。
(こんな恰好で踊っていたなんて信じられない)
顔がカアーッと熱くなり、頬っぺたを手で覆ったアイーダは、あっ、となった。
顔の皮膚と、手の間に香粉の薄層が触れる。
舞台化粧も、まだ落としていなかったのだ。
「そんなの女官を呼べば・・・・・・」
アイーダの表情から察したムーニャが、寝台で丸まりながら言う。
「そのくらい自分で取りに行くわ」
寝台から立ち上がり、アイーダは扉に向かおうとする。
「迷子になっても知らないよぉ?」
「う・・・・・・。ムーニャ、ついてきてくれない?」
厨房は後宮と同じく王宮内にあるが、昼間脱走しようとして、しっかり迷ったばかりだ。
昨日まで、大広間と宿泊部屋を往復するだけだったし、この環境が恐ろしくて、気持ち悪くて、舞台以外アイーダは部屋に引きこもっていた。
舞台後、厨房に寄ってお湯をもらってはいたけれども、あれはルトが居たから部屋に戻れたのだろう。
しかし、本性はあんな男だった。今思うと、無防備すぎる自分が情けない。
「ふわ~ぁ。分かんなくなったら、起こしてよねぇ~」
ムーニャは、ふよふよ、と飛んできてアイーダの右肩に乗ると、そのまま丸まって寝てしまった。
「ありがと、ムーニャ」
「あとでメロン丸ごとね~」
お湯の入った木製ボウルを手に、アイーダは臙脂の絨毯が敷かれた廊下を歩く。
案の定、後宮を出て数十分後、昼間同様アイーダは迷子になった。
ムーニャのナビでなんとか厨房まで、たどりつき、お湯をもらえたのである。
「なんか、静かすぎて不気味・・・・・・」
洋澄の明かりで、ぼぅっと照らされた長い廊下は気味が悪い。
歩く距離自体は、前の宿泊部屋を往復するよりも短いのだが、夜の王宮内を往復するのは初めてだ。
「お化けは出ないから平気だよぉ」
「魔神だって、お化けみたいなものじゃない」
今日は遭遇しなくてよかったとアイーダは思う。
“ランプの魔神“と思えばいいのかもしれないけれど、絵本で見たのと実物を目の前にしたのでは全然ちがう。
「ムーニャ。ヘサーム王って、どうやって魔神を家来にしているの?」
何気なく、口にした疑問。
どう考えたって非力な人間が思い通りにできる相手じゃない。
ふつうに隷属させていることが異常であると、アイーダは改めて思った。
「みつ子、忘れちゃったの?魔神は——」
「アイー、ダっ・・・・・・‼」
ムーニャが言いかけた時だった。
「ッ‼」
アイーダは息を飲む。
目の前に赤ら顔のルトが立っていた。
いやらしい笑いを浮かべながら、千鳥足で近づいてくる。
アイーダは咄嗟に、洗面器を投げつけ、来た道を一目散に走りだした。
バシャッという音の後、ルトの不快な叫び声が足音と共に、追いかけてくる。
「アイーダ、ぼくだッ!君と話がしたいんだッ!!」
口など利きたくないので、アイーダはだんまりを決め込み徹底的に無視して必死に走った。
「うえ~、バカは嫌だねぇっ‼」
アイーダの顔の横を飛びながら、ムーニャがルトに向かって、べーっと舌を出す。
廊下に、バタバタとふたりぶんの走る音が入り混じる。
「アイーダッ、アイーダ!」
(しつこい!!)
段々、ルトの声が近くなってくる。
「うわぁっ‼ヤバい、追いつかれるよぅっ‼」
振り向きながらムーニャが叫ぶ。
アイーダは角を曲がり、近くの貴賓室の部屋に飛び込んだ。
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