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バタン――‼カチャリ。
鍵を掛け、アイーダは呼吸を整える。扉越しに未練たらたらのルトの声が聞こえていた。
流石に、自分から貴賓室には入ってこないはず。
扉に耳を付け、ルトの声が遠ざかるのを確認し、アイーダは安堵の溜息を洩らした。
しかし、この部屋に入ったことを即後悔する。
「ァ・・・・・・ッ、ん・・・・・・」
洋燈の明かりに照らされる二つの影。鋼の肉体と、その下でうねる曲線の四肢。
女体に覆いかぶさる、烏羽玉の黒髪と褐色の肌が嫌でも目に入った。
「騒々しい。踊り子が何用?」
褐色の逞しい腕の間から、敵意剥き出しで銅色の髪をした女が睨んでくる。
「も、もうしわけありません。男に追いかけられて」
アイーダはなるべく、まぐわう男女を見ないようにして頭を下げた。
「そんなもの相手をすれば済むことよ。あなたには丁度いいでしょう? あの商人なら」
女・シュラは蔑んだ眼差しでアイーダに言い放った。
荊が巻き付くような声の響き。シュラは、褐色の肉体に爪を立てながら、指を悩ましく這わせる。
踊り子程度なら、商人がお似合いよというシュラの言葉が腹立たしい。
でも、アイーダは黙ったままだった。
みつ子の時も、後輩の高野に仕事を押し付けられても、陰口叩かれても何もできなかったのだ。
「ああんっ・・・・・・‼ヘサームさま、お噂通り、お上手ですわね」
聞くに堪えられない。
何が悲しくて、他人の閨なんかを見なければならないのか。
(ここを出れば、またルトに遭遇するかもしれないけれど、ヘサーム王のセックスを終わりまで見るなんて冗談じゃない‼)
「大変ご無礼致しました。・・・・・・失礼いたします」
アイーダは再度頭を下げ、扉の鍵を開けた。
「ここを出て左側の通路を使え。さすれば後宮はすぐだ」
「ヘサームさまっ?・・・・・・アアッ アァア‼」
ヘサームの助言に反論しようとしたシュラの声は、快感の一点を突き上げられ、喘ぎへと変わった。
「あっ、ありがとうございます‼」
アイーダは、ヘサームに対してお辞儀をして、あわてて部屋を出た。
ヘサームの言う通り、部屋を出て左側の通路を使ったら、間もなく花のモザイク扉の前に出られた。迷いに迷ったが、近くまでは来ていたようである。
「ふぇ~っ。飛び回ったら疲れたよぅ~」
へなへなとムーニャが寝台に落っこちた。
「わたし、も・・・・・・」
アイーダも、どさっと寝台に倒れ込む。今日初めて会った楽師たちと、初めての独り舞台で踊り、慣れない場所を走り回って、さすがに疲労困憊だ。
もう、動きたくない・・・・・・。
(ルトのせいでお湯が・・・・・・。明日、朝イチでもらうしかないか)
瞼が重くなってアイーダは微睡みに身を任せようとしていた。
「アイーダ様」
抑揚のない声に、ハッと意識が浮上する。
いつの間にか女官が立っている。しかも、その手には湯の入ったボウルがあった。
「陛下がお届けするようにと」
「あ、ありがとうございます」
さっきの一瞬で、化粧を落としていないと分かったのだろうか?
不思議に思いながらも、これで洗顔できるとアイーダは安堵した。
女官はボウルを床に置くと、一礼し、下がった。
花の香りの中に、石鹸の香りが沸く。
アイーダは、受け取ったお湯で舞台化粧を落とした。
温い湯が顔を包んで、素の自分へと戻していく。
「懲りない輩だったな」
今度は呆れたような声が部屋に響く。
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