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そんな話だっただなんて
「ワシは‥‥気づいてはいたが‥‥何も言えんかった‥‥。あれだけ日頃より『御仏の力が』と言っておきながら‥‥観丹を‥‥救ってやれなんだ‥‥口には出さなかったが‥‥兄想いだった‥‥お前には‥‥済まなかったと‥‥」
弱気を口にするなんて、らしくないよね。
声にも、いつもみたいな張りがない。
辿々しく、まるで独り言のような。
「結果として‥‥お前は『御仏』を見捨てた‥‥何も聞かなかったが‥‥端から見てても分かっていた‥‥それは、仕方の無い事だと‥‥理解している‥‥」
お父さんの目は、私に向いていない。
天井を見上げ、虚ろに開いているだけだ。
或いは、もう視力がないのか。
「だが‥‥ワシはそれでも‥‥お前に‥‥御仏の道を継いで欲しいと‥‥親の‥‥か、勝手な願望だが‥‥な‥‥」
ちっ‥‥この期に及んで『進路指導』なの? 全く、断り難いタイミングで‥‥!
けど、分かっているなら良いじゃない。私にそんな気はないのよ‥‥。
‥‥ん?何故か今、一瞬‥‥頭の中に快道君の顔が浮かんだような? なんでだろう?
「そこで‥‥ワシは‥‥一計を案じた‥‥何事にも深い興味を示さないお前だが‥‥ひとつだけ『弱点』がある‥‥」
気のせいか、お父さんの口元がニヤリと笑ったように見えた。
「美樹‥‥お前は‥‥『美丈夫』に弱い‥‥だろ‥‥?」
え?‥‥は、はぁ!
こ、この期に及んで何を突然に言い出すのよ!
「た、たまたま‥‥ワシの耳に『快道』という‥‥見目麗しい‥‥わ、若い修行僧がいる‥‥という話が‥‥聞こえてきてな‥‥ふふ‥‥こ、これ幸いと‥‥」
え!え?何!何? 何の話?!
「か、快道君を‥‥切っ掛けにして‥‥再び、御仏の道に興味を示してして‥‥くれたら‥‥とな‥‥だから‥‥理由をつけて‥‥呼んだ‥‥」
な、何よ!その暴露話はっ!
くそぉ‥‥思いっきり釣られて、散々に興味もないハズの『仏様の話』をしてたじゃないのよ! おのれ、クソ親父めが!
「ふん‥‥あ、あと少しと‥‥踏んでいたが‥‥はは‥‥ワシの‥‥寿命の‥‥方が早かった‥‥か‥‥」
お父さんの言葉が途切れる。
そして、次の瞬間。 ピー!と、電子音がけたたましい連続音を出し始めた。
「どいて! 蘇生に入るから!」
看護師さんが割って入ってくる。
続いて、お医者さんが飛び込んできて何やら注射の指示をしている。
私は邪魔にならないように、そっと部屋を出た。
集中治療室の前で、お母さんと快道君が心配そうな顔で待っていた。
ああ‥‥やはり大きな、快道君は。お母さんと並ぶと、頭ひとつ以上違うわ。
黙って、その横に座る。
「‥‥お父さん、何て言ってた?」
潤んだ瞳で、お母さんが尋ねる。
う‥‥答え難いな。
この重苦しい雰囲気の中、まさか正直に「愛娘のイケメン好きを見抜いてました」とも言えないだろう。それに、快道君も目の前に居るんだし。
「‥‥な、納屋の裏に置いてある『自転車』を片付けておいてくれ‥‥って」
嘘も方便と言うそうだし。この程度の嘘なら仏様も見逃してくれるだろう。……多分。
「そう‥‥」
お母さんが深い溜め息を吐く。
「そうね。何時までも置いてはおけないわね。いい加減‥‥見切りを付けないと」
そう言って、お母さんは両手で顔を覆った。
ゴメンね‥‥ヘンな嘘をついて。
本当は、お父さんじゃなくて私が辛くて見てられないだけなのよ。
その時だった。
さっきまで中に居たはずの医者が外に出て来て、私達の前に立った。
「‥‥お気の毒ですが。今、亡くなられました」
そう言って、眼を伏せる。
‥‥そっか、死んだのか。
なんか、私の頭の中は意外と冷静だった。
その隣ではお母さんが、まるで好きなオモチャを奪われた子供みたいに激しく泣き崩れているけども。
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