通夜の晩

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通夜の晩

 俗に「笑ってはいけいない時ほど、他愛もない事で笑いそうになる」というが。今まさに、私はそれを味わっていた。  幸い、快道君の呟きが聞こえていたのは私だけのようだが……  ぐっ……と腹に力を入れて必死にこらえる。  ダメだ……笑うな……笑ったら……ダメだ……仮にも、実の父親の葬儀だぞ……  決死の覚悟で歯を食いしばる。  顔が真っ赤になり、頬がヒクく。下唇を噛み締め、ハンカチで口元を抑えながら自席に戻る。  ふぅ……どうにか堪えたわ。よくやったわね、流石は私。  意識的に呼吸を深くして、気持ちを整える。……うん、大丈夫。何とか持ち直したわ。    それにしても、どうして我が宗派は肝心なところで笑いを取りにくるのかしら。……そういう、人やお寺の名前とか人生の最期とか、茶化したらダメなところを狙ってきやがるのよ。  そういう意味では、快道君も立派に宗派の一員って事かしらね。      通夜式が終わってから。  阿闍梨様が、私達のところへやって来た。何だか、しんみりとした顔をしている。  私の前に立ち、合掌して深く頭を下げられる。そして。 「……ご長女、美樹さんでしたな? さきほど読経とともに拝見を致しておりましたら、お焼香の折に必死になって悲しみを堪えている表情が伺えました。それを拝見するに、ああ……とてもお苦しいのだろう、と推察致した次第であります」 「……はい」  いや、ごめんなさい。アレ実は、笑うのを堪えていただけでして。 「こう申し上げるのもアレですが、あなたのお父様は『娘と上手く行っていない』と嘆いておられた。多分それは、お兄さんの一件があったからだろう……と」  うーん、それもあるけど、何しろ私も年頃の娘だし。父親に反抗するのはオヤクソクみたいなものかもね。 「ですが、ああしてお嘆きの様を伺うに、本心におかれてはチャンと心が通じておられたのだと……やはり親子だ。血は水よりも濃いと申しますが、家族の情というものを拝見しました。お父様も、さぞ嬉しく思っておられるでしょう」  ……いや、それはどうだろうか。お父さんは最も間近で聞いていたわけだし。ひょっとすると「間違えた」のも聞こえていたかも知れない。  だとすると、可愛い愛娘が爆笑を堪えていた事実を知っているかもね。  通夜式が終わってから、私は快道君と共に夜の本堂に残った。  本当はお母さんも本堂で夜を明かすつもりだったみたいだけど、かなり参っていたようなので私と快道君とでロウソクの火を守る事にしたの。 「……もう遅いですね」  障子の向こうから、囁くような虫の鳴く声が聞こえる。 「よければ、拙僧が起きていますゆえ。美樹さんはお休み頂いてもいいですよ?お疲れでしょうし」  快道君はそう言ってくれるけど。   「ううん。ここで良い」  ……気を遣ってくれるのは分かるけど、一応それでも、曲がりなりにも、クソ親父だけど、そこでじっと寝ているのは私の父親だしね。  不意に、漠然とした不安感が自分を襲った。  私はこれから先、どうなるんだろうか。  快道君は以前に『真四角の木』を眼前に据えて『御仏をイメージするのだ』と語っていたと思う。  ……今の私の眼の前には『未来』と銘した『真四角の木』がデンと据えてあるだけだ。そこには、何のイメージとて有りはしない。快道君のように、明快な道筋は自分には無い……   『快道君』か……  私はふと、頭に妙な疑問が浮かんだ。  こういうテンションの時でないと多分、聞けない。 「ところで……快道君って、いつも『そういう喋り方』だけど、元々そうだったの? 別にそれが悪いとは言わないけど、何か……余所々しいみたいかな……って」  誰でもそうだと思うけど、子供時分なんて生意気も良いところだと思うのよね。では、彼の場合はどうなんだろうか。何か私に対して構えているところとか、あるんだろうか。 「はは……これは失礼しました。別に、余所々しくしてるとかでは無いのですが……私は『普通の話し方』というものをした事がないものですから。仏門に帰依してから学んだ『こういう喋り方』か、もしくは、狼のように思いっきり乱暴になるか……その二択しかありません」  何処か恥ずかしそうに、頭を掻いてみせる。 「なので、失礼のないようにしようとすると『こう』なるのです」 「え……何、その極端な話」  普通、その間に『フツーの喋り方』が入るものだと思うのだが。 「……ここだけの話と、お聞きくださいませ。実は、私は両親が何処の誰だか全く知らずに育ちました。名前の『慶羽快道』も、親ではなく、阿闍梨様から頂いたものです。……出家を理由に、15歳で改名しました」  そ……それは……  突然のカミングアウトに、思わず絶句する。 「とにかく、気がついたら施設に居ました。赤ん坊の頃に、引き取られたそうです。言い訳みたいでアレですが……施設での生活は、決して暖かいものではありませんでした。不遇を極めた者同士が、更にその傷を引き裂きあうような環境で……私も、中学生時代は施設職員の手に余る暴れん坊でした」  うー……む。とても信じられん……と言いたいところだが。  少し、納得の行くところも無いワケじゃぁない。  快道君は、単なるイケメンではない。何かこう、人の注意を引きつける力があるのだ。ある種の『危険な香り』というか。  もしかすると、それは『三つ子の魂百まで』というが、中学生時代の名残のせいかも知れない。 「ある日、思い余って拙僧は家出……というか施設から脱走をしました。耐えられなかったんですね。とは言っても、何処かに行く宛があるでなし……気づいたら、見知らぬお寺の縁の下に潜り込んでいました。とりあえず、夜露が凌げれば良いという意図だったのでしょう。それが詣永和寺でした。 その時、偶然にも縁側を歩いていた阿闍梨様が『何やら縁の下から物音がする』とお気づきになられ、私は雲水(修行僧)達によって引張りだされたのです」  何とまぁ……偶然と呼ぶにも、あまりに出来過ぎというか。 「そこで、拙僧の事情をお聞きになった阿闍梨様が『されば一晩、此処で夜を明かすがよい。明朝、どうすれば良いか行政と話をしてみよう』と仰って頂きました。……後で聞くところによりますれば、役所の方には顔が利くとかで」  ……捨てる神あれば、拾う仏ありか。 「その晩の事でした。私は本堂の片隅に布団を頂いて休む事になったのですが……何か気配を感じるのです。本堂の須弥壇、その片端の方から、何やら『じっとこちらを見守っている』ような雰囲気が」  おいおい、いきなりのオカルト?  いやぁ、それはキツいわ。何しろそこに現物が寝てるんだし。 「翌朝、目が覚めてから『気配があった方』に近寄ってみたところ、そこに30センチほどの大きさをした観音像が置かれていたのです。力強さを感じながらも何処か柔和な表情を讃える素晴らしい仏様でした」 「え……その観音像って、まさか」 「はい、ご賢察の通りです。私は、それを見た瞬間に確信しました。『これ』が、私を此処に導いたのだと……その仏像こそが『快慶作』だったのです。私の生きる道は、その時に定まりました。運命……?ですかね」
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