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制多迦童子
「ふー……ん。これが、今回の仏像?」
家に帰ってから、納屋で縦長の半紙に墨で描かれた『下絵』をマジマジとみる。
何というか、ちょっと意外と言うか。
うちの御本尊は不動明王だから、てっきり同じお不動様か、もしくはオーソドックスにお釈迦様とか観音様を彫るのかと思ってたけど。
これは……どちらかと言うと『子供』っぼい? それも二体描いてある。
「はい、これは『制多迦童子と矜羯羅童子』と言います。このお寺さんの御本尊様は不動尊であらせられますが、残念な事に『脇侍仏』がございません。
本来、お不動様はこの2体の童子を両脇に従える『不動三尊』の形をとるのが一般的なのですが」
あー……何か聞いた事があるぞ?
確か、亡くなったお爺ちゃんが言ってたな。
「……御住職にお伺いしたところ、このお寺さんは空襲で一度焼け落ちた過去があるとの事。その時に先代様が御本尊だけは抱きかかえて逃げられたものの、他の仏像数体は『身代わりとして灰に帰った』とか」
戦争中、この辺り一帯にも爆撃機が来たという。
こんなところ、戦争中は畑と牛しか居なかったろうに。何が楽しくて爆弾なんか落としたのやら。
「御住職が『本尊の両脇が物足りない』と嘆いておられましたのを、本山の阿闍梨様がお聞きになり、及ばずながら私がそれを作らせて頂くことになったのです」
ははぁ、なるほど。そういう縁でやって来たわけか。
単に遊びに来たってわけでも無いんだな。
「そっか……で、そっちの木で制作を?」
見ると、脇に一抱えほどもある大きめの角材がふたつ置いてある。
「ええ、この木は楠です。折角の脇侍仏なので、檜が使えれば一番良いのですが、何しろ材料費が高くなってしまうので」
「材木が高い?」
何か、ピンと来ないというか。ホームセンターに行けば木材なんて野積してあるイメージしかないけれど……
「はい。木は芯の部分を使うとそこから割れてしまうので、樹木の直径そのままに木材を切り出す事が出来ません。なので、どうしても半径から少し引いた長さしか、有効には使えないのです。
更に木は円形をしているので、四角い形を出そうとすると、どうしても曲線部は使えなくなります。それに、天然の樹木は直進して成長しません。曲がったりくねったり……または大きな節が出たりしていて、意外と『連続して使い物になる部分』は少ないのです」
なるほど、自然の造形から無理矢理に四角を出そうと言うんだから『無駄な部分』も出るというものか。
「例えばこの木材で言うならば、元々の直径は1メートル近くあったのではと……相当な樹齢があったと思われます。楠は防風林に使われるくらいで比較的大木になりやすい木ではありますが、それでもこのクラスの木材ともなると、値段以前に入手そのものが容易ではありません」
「手に入らないんですか?」
「ええ。第二次世界大戦以前には、そうした巨木は東南アジアの熱帯雨林などから切り出して日本へ運搬していたようですけど。今では自然保護の観点から、質のいい巨木の輸出は認められていないのです。なので、現在ではこうした木彫用の良い角材は市場に出る事すら稀です」
うーむ、『たかが材木』と思っていたが。意外に貴重なんだな……
「楠でそれだとしたら、さっき言った檜とかだと更に高くなるの?」
ダメだ、どうしても値段の話に食いついてしまう。まったく、我ながら素人はこれだから困る。
「そうですね……仮に1メートルを超えるような大直径の檜だと……原木の状態で買ったとしても、1キロ数万円とかでしょうか? これが製材された状態なら、価格はもっと上がります。無論、それも『物があれば』という条件ですが」
「……え?製材すると価格が上がるの?」
いや、だから金の話から離れろって。
「ええ。実は樹木には『内部割れ』という問題があります。外観からでは無傷に見えても、製材して割ってみたら中に大きな亀裂が入っている事が少なくありません。そうなると、その木材の価値は大きく下がることになります。なので原木の購入はギャンブルになってしまうので、製材された材料に人気が集中するのです」
1キロ数万円……違法薬物の『末端価格』じゃあるまいし。
とても木材の値段とは思えんな。
……それにしても『童子』か。
きっと、お父さんにとって寂しいのは『不動様の両脇』だけではあるまい。普段は口にしないけど、何の感情も無いという事は無いだろう。
そう、死んだ兄の供養だ。
快道君は「空を極めればあらゆる感情は凪ぐ」と言うけれど、あのナマグサ坊主がそんな境地に達しているとは到底思えないし。
きっとお父さんは、せめて失われた童子を本堂の須弥壇に戻すことで形のある供養がしたいのだろう。だからこそ、阿闍梨様も快道君を差し向けた……と。
そして、問題は『それ』だ。
我が寺では、代々が世襲で寺や檀家の墓を守ってきている。
無論、兄もその期待を一身に背負って生きていたはずなのだ。
そして、それが失われた。
……分かっている。
お父さんは、いずれは此処のお寺を継いで欲しいと願っている。
そう、『この私』にだ。何しろ、もう他に適任者が居ないのだから。
だが、お寺の……いや、仏教そのものの存在意義に懐疑的な私に『その気』は無いし、お父さんも『私にその気が全く無い』事を重々承知している。
何しろ、抹香を本尊にブツけるような不信心者なのだから。
お父さんと私、その双方がその事情を良く分かっているからこその『無言のせめぎ合い』があるのだ。
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