仏像を彫る

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仏像を彫る

 学校から帰ると。  快道君は着替えもそこそこに、納屋へ籠ってしまった。『仏像制作の続き』だろう。……勉強かも知れないけど、そこは自己を顧みて落ち込みそうだから考えないようにしよう。  一応それでも、お父さんは『納屋はエアコンも無いけど、いいのか?』と尋ねたそうだが。 「拙僧は修行中の身にあれば、自然の在るべきに身を任せるのが筋でありましょう。何、雨露や直射日光が防げる屋根と壁があるのであれば、それ以上に望む必要もありません」  ……と、優等生な回答で爽やかに返されたそうな。  ホントに18歳なのだろうか? 達観しすぎて疑いたくなってくるけども。  私なんぞは出費を渋る両親に「部屋が暑くて勉強ができん!」と文句を言って自室にエアコンを入れて貰ったというのに。  ……お陰で、昼寝が捗って仕方ないわ。  とりあえず、アリバイ作りに今日の宿題だけ片付けてから。  私は階下に降りて冷蔵庫からジュースを取り出して、戸棚のコップを携えて納屋に向かった。 「……お邪魔しまーす」  そっと、納屋の扉を開ける。 「ああ、どなたかと思ったら美樹さんでしたか。何か御用がありましたか?」  うーむ、何処からどう見ても完全無欠の爽やかさだぜ。  ……やってて、疲れないんだろうか? 「いえ! あの、暑いんでジュースでもどうか……と思って!」  声が、普段より半オクターブは高くなるのが自分でも分かる。  それでも一応、『よく気のつく娘』アピールとかはしとかないと。 「そうですか、それはどうも。では、折角のお気持ちですから一口頂戴します」  快道君はそう言って小さく合掌をしてから、ゆっくりと大きな手で冷たいガラスのコップを手に取った。  手元の小さな机には、『木彫り』ではなく教科書とノートが置いてある。どうやら宿題の途中だったらしい。  ふと見ると、昨日の夕方に見た『木の塊』は、まだ何も手がついていないようだ。 「……彫刻は……まだ、手を付けないんですか?」  何の気なしに尋ねてみる。 「ん? はは……そうですね。『未着手』とも言えますし『着々と進んでいる』とも言えます」  まるで禅問答のような答えをしながら、快道君がにっこりと笑う。 「進んでいる?」  思わず聞き返す。どうみても四角い木の塊である。『未着手』と言われれば納得は行くが『進んでいる』と言われてもよく分からない。 「ええ。こうして目の前に木を据えることで、その中に御仏の御姿を見つけるのです」  ……うーむ、また分からない話をしているな。『見つける』って、別に隠れている訳でもあるまいに。 「極めて感覚的な話で、もしかしたら分かりにくいかも知れませんが……私達のような仏師は、木を『彫って形を出している』のではありません。そうではなく、木の中に隠れている御仏の身体から『木屑を取り払っている』のです」  え……やっぱり隠れてるの? 「ははは……そうですね、分かりにくいでしょうね」  よほど私が怪訝な顔をしたらしい。  快道君がよく剃れている頭を掻く。 「要するに『イメージ』の力なんですよ。強く、強く、この木に向かって御仏をイメージをするんです。何処にお顔があるのか、何処に手があるのか。 その細かいディティール……密教では『儀軌(ぎき)』と呼ばれるのですが、それらを鮮明にイメージすることで『取り払うべき木屑』がどれなのかを迷う事なく選択出来るようになるのです。 ですから今は、そのイメージを膨らませるための『前段階』と言ったところですね……」  なるほど、イメージと来たか……  難しいな。こういう時、どうやって返せば良いんだろうか。  これが花蓮だったら、何の迷いもなく『すごーい』とか『かっこいー』とか、アホ丸出しだけど分かりやすいコメントを繰り出せる事だろう。  しかしながら、当方はこれでも『住職の娘』、いわば半・関係者だ。そんな素人みたいな事は言えまい。何かこう……如何にも仏門的なそこそこ深いコメントを出したいところだが……上手く言えんな。  仕方ない、話題を変えるか。 「……ところで、何で快道君は『仏師の道』を進もうと?」  私は正座をしながら、冷たいコップを膝の上に置いた。 「え?拙僧が仏師を目指すようになった切っ掛けですか?」  恥ずかしそうに、快道君が切れ長の眼を細める。 「実は……」  コップの底で溶けかかっている氷を、まるで手の熱で温めるように抱えながら快道君が小声で答える。 「拙僧は、快慶に憧れたのです。そう、奈良大仏殿の金剛力士像を造った、あの『仏師・快慶』です」
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