俺と母親

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俺と母親

 俺の母親は、俺が記憶しているだけでも、底辺の底辺を歩いた可哀想な女だった。  俺を生んだのもどこかの誰かとヤった結果で、デキ婚仕掛けたところに結婚費用を持ち逃げされたとか、そんなん。その後なんとか俺を生んで育てたんだろうが、それでもいつだってあいつは自分を愛してくれる男を探していた。世間では再婚は子供のためだと考える能天気な発想もあるらしいが、普通に考えてみろ。子供のためなんかに男を探してる母親を、母親として頼れると思うのか?  ンなわけねえだろ、クソが。  そんなわけで、物心つく頃には母親が他の人間とはどこか違っていて、中学にも上がる頃にはただの馬鹿なんだと俺も理解した。  言わず劣らず、俺も馬鹿だった。  学校では騒がしいやつらと連んで、窓をぶち壊したり金持ちのやつから金を巻き上げたり、まあ子供のやんちゃじゃ済まねえことは割とやった。教師に殴られることもあったし、仲間にはめられて散々な目に遭わされたこともあったが、まあ、なんとか卒業した。  家に帰れば、知らない男と楽しんでるその女の背中を見るたびに、なんで俺は生きてんのかとかなんでこいつは生きてんのかとかくっだらねーことばかり考えてしまうのが、嫌だった。たまに男といないかと思うと殴られるし。逃げるように外に出たのも、派手なことをやらかしたのも、不思議じゃねえだろと思う。  不思議といえば、俺は結局、母親になにも手を出さずに終わった。  それは俺なりに母親を母親と見ていたからかもしれないし、単に母親を相手にしたくなかったからかもしれない。中学までの、話。そこから先は、母親の姿を見ることの方が少なかった。家に帰ると大抵、気持ち悪いほど甘ったるい香水か、吐き気のするアレの匂いしかしなかった。  俺は矢鱈と面倒見のいい教師に乗せられて高校にあがり、そこでとある人に出会って、色々と落ち着いた。俺が大学なんてよくわかんねえ場所に入学したのも、その人に誘われたからだった。母親は母親なりにそれを喜んでくれたらしく、合格したと伝えたら、嬉しそうになけなしの金を取り出して、お祝いにご飯でも食べに行こうと言った。  たった一日、たった数時間。初めてまともに、母親らしい姿をした母親とと過ごした。  その帰り道の出来事が、それだ。  愛に飢えて生きただけのクソ女の、呆気ないエンディング。赤いテールランプと死神のサイレン。真っ白な部屋。居るのは俺ひとり。  親戚なんて話を聞いたこともない俺は、葬儀についてネットで調べるしかなかった。母親だからというより、クソみてえな人生しか送ってこれなかったこの女が、少し哀れに思えたからだった。  遺体はなるべく早く引き取ってください、と病院にも冷たくあしらわれた。ケースワーカーとかなんとかいう役職の人間が、保険やらなんやらまとめて説明してくれた。誰もがお悔やみをと言ってくれたが、誰も悲しい顔なんてしなかった。当たり前だけど、そんなもんなんだなと思った。人が死ぬなんて、その程度の事なんだろう。  結論からいうと、葬式は、ただ焼いて骨をまとめたら終わりだった。なんの感慨もない。涙もない。お経も何もない。焼け焦げた肉の匂いを覚悟していたのにそれもない。  ただ、少しだけ、暑かった。  母親だった骨をまとめた後、蓋を探していた俺に、職員はこちらが蓋をしますからと薄っぺらな笑顔を浮かべて言った。出て行こうとした俺の背後でみしりと音が鳴って、振り返ると職員が残っていたちいさな骨を入れ込んで、無理やり蓋を押し付けているところだった。  人間てのは、遺骨になっても容赦はないらしい。  そんな呆気ない幕引きと、天涯孤独の人生が同時に起こった、春だった。
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