壱:隣の席の大和撫子

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「――」  顔を動かした更科さんと目が合ってしまった。  手を伸ばせば触れてしまえそうなほど近い距離にいるから、更科さんの長い睫毛や、人形のように整った顔立ちが嫌でも目に入る。  更科さんは目を見開かせ、口を僅かに開けて、疑問を抱いているような表情を浮かべていた。  それもそのはずだ。本来なら古典の授業中であって、俺は更科さんを見るのではなく、黒板を見ていなければいけない。  失敗したと考えると同時、早く視線を逸らさなければならないのだが、惹きつけられたように目が離れない。  どれくらい経っただろう。実際には数秒も経っていないのだが、体感的には何時間も目と目が合っているようだ。  やがて、更科さんはいつも他の人達にするのと同じような笑みを向けると、再び凛と姿勢を伸ばして授業に臨んだ。  突然のこともあって、俺は不覚にも顔を赤らめた。  ――確かに、分かる。彼女を一目見ようと、休み時間の度に多くの生徒が二年三組に訪れることも分かる。  更科さんは美少女だ。隣の席に座っている俺は、周りから見たらラッキーな男として見られているのだろう。  でも、俺は早く席替えをして、ラブコメ主人公の特権であろうこの席から離れたかった。  この席に座り続けて周りから反感を買うリスクを冒してまで、更科さんのことを知りたいとは今の俺には到底思えない。  別に更科さんのことが嫌いな訳ではない。本来なら、周りの人達と同様に喜ぶべきなのだろう。しかし、俺はこれ以上更科さんの近くにいることで、揉め事を増やしたくはない。  ――俺はただ無難な高校生活を送りたいだけなのだ。  平常心を取り戻したと同時、何故か更科さんに対して罪悪感を覚えた俺は、皆と同じように黒板へと意識を向け、古典の授業を受けることにした。  黒板には、「八十四。永らへば またこの頃や しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」という新たな和歌が書き出されている。  俺は自分のノートに視線を落とす。もう一度、黒板を見る。黒板とノートを比較すると、八十番と八十四番――、明らかに抜け落ちた番号がある。  大和撫子に気を取られて、どうやら授業に後れを取っていた。
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