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毎朝、同じ時間、同じ車両で出会う彼――。
涼し気な目元にある、印象的なほくろが可愛いとか。少しウェーブした癖毛のある黒髪や、陶器のような白い肌が、女の私よりも綺麗なんじゃないかとか。
彼について知っているのは、外見からわかる特徴ばかりだけど。それでも、私、結賀楓(ゆいが かえで)は、彼に恋をしていた。間違いなく私にとっての初恋で、しかも一目惚れだったと思う。彼の持つ独特の雰囲気が好きで、ここまでドストライクな男性なんて、今後の私の人生ではもう現れないと思った。
――だから、私は決意したのだ。
女子校に入学してしまったからには、彼氏を作るチャンスなんて早々やってこない。高校一年生になったばかりの私は、思い切って彼を駅のホームで呼び止め、深呼吸の後に想いを伝えた。
「わっ、私は、新海女子高校の結賀楓といいますっ! 突然ですが、付き合ってください!!」
言っておくが、朝の八時過ぎは通学途中の学生がたくさんいる時間帯だ。それも、自分の高校真ん前の駅ホームという場所で、勢い余って告白を始めてしまった。注目されないわけがなく、女子生徒ばかりの周囲からは黄色い悲鳴が上がった。
「――悪いけど」
頭上から、冷たい拒否の声が降ってきた。
(あれ、おかしいな?)
彼の声は、もっと柔らかくて優しいと思っていたのに。
「――……あ、はい……」
(もしかして、振られた?)
思考が追い付かず、実のない返事をしてしまう。
彼は、あきれたようにため息をつくと、さっさと改札を通って駅から遠ざかって行ってしまう。顔を上げれば、彼の背中がぼやけて見えた。じんわりと目に温かいものを感じる。
(――うそ。こんなところで、泣きたくない!)
周囲からは、同情するような声が聞こえてくる。
(やだ、恥ずかしい……!)
周囲が見えず、突っ走ってしまった自分の浅はかな行動に後悔した。公衆の面前で告白なんてするもんじゃない。いつもの自分であれば、これが他人の告白なら、私だってそう思っていた。
でも、さっきまでの私の頭には、"今日彼に告白する!"という考えしかなかったのだ。
『可哀想じゃない?』
『誰か声かけてあげた方がいいんじゃ……』
きっと同じ新海女子高校の人が、心配してくれているのだろう。優しい心遣いだけど、今は本当にそっとしておいてほしいと切実に願った。
「あ……っ」
なんで今なわけ?そう思った。
プリーツスカートから伸びた素足の内股に、一筋の赤い線が走った。周囲も私の様子に気づいたのか、ざわりと騒がしくなる。
(なんで、なんで! 逃げたい、のに。足が、震えて……っ)
かあっと耳まで顔を赤くするが、ますますドクドクと太ももへと血が伝う。
「う、うう……」
じわりと目尻に涙が溜まってくるのを感じた、そのときだった。
「ねえ、こっち」
「え……?」
ふいに、後ろから声をかけられる。振り返ろうとするが、右手を掴まれてそのまま改札口へと連れていかれた。
(だ、だれ……)
ふわりと長い黒髪をなびかせて、彼女は私の手をきつく掴んだまま離す様子はない。そのまま、私は彼女に連れられて、もたもたと改札口をくぐると、駅のトイレへとたどり着いた。
「えっと……」
やっと離された手を胸の前でぎゅっと握り、私は彼女へお礼を言おうとしたが、言葉を発することは出来なかった。
(うそ、うそ! なんで……)
私は、助けてくれた彼女の顔を見て硬直した。
彼と同じ、涼し気な目元にある、印象的なほくろ。少しウェーブした癖毛のある、長い黒髪。そして、陶器のような白い肌は、ほんのりと頬が桃色づいていて可愛かった。
(あの人と、同じ顔……!?)
口をパクパクさせながら、声が出せないでいる私の様子に気づいてか、彼女は困ったように微笑んだ。
「……さっきは、兄がごめんなさい。悪気は、きっとないんだけど。デリカシーとかそういうものが兄にはないみたいで」
「え、えっ? お兄さん、ですか?」
通りで似ているはずだと思った。いや、似ているどころじゃない。いくらなんでも、そっくりすぎる。
彼が女の子だったら、きっとこんな風だったんだろうと思えるほどに瓜二つだった。
「双子なのよ」
「あ、なるほど……」
まるで私の思考を読み取ったように、彼女は私に説明してくれた。
「私ね。通学中は、ずっと兄の隣にいたのよ」
「へ……?」
そう、だっただろうか。
もう一か月ほど、彼の姿を電車内で見かけては目で追っていたが、正直全く記憶になかった。
「ふふ。優弥は気づいてないみたいだったけど、私はずっと気づいていたのよ」
「えっ、何が、ですかっ」
"優弥"とは、彼の名前だろうか。
さっき振られたばかりなのに、悲しいくらいにまだ彼に恋していると思った。
「あなたの、熱いあつーい、まなざしよ。気づかない方がよほど鈍感ね」
「あっ、ああ―…」
また恥ずかしくなって、顔をボンっと湯気が出るくらいに赤くした。
「ねえ、これ。あげるから、早く綺麗にしたほうがいいわ」
そう言って、彼の妹さんは私に、ピンク色の不透明なビニールで包装されたナプキンと真っ白なタオルハンカチを差し出した。
「あうっ、あ、ありがとうございます!」
彼の妹に助けられたことに驚きすぎて、すっかり忘れていた。
足元を見れば、白いソックスに赤い染みが出来てしまっている。告白して玉砕したうえに、生理だなんて――。本当にツイてない。
個室へ入ろうとすると、「ねえ」とまた呼び止められた。
「な、なにか……?」
ぎこちない笑みで、顔だけ振り返る。
私はさっき、この人のお兄さんに振られてしまったのだ。助けてくれたことは嬉しかったが、正直、あまり関わりたくなかった。
「私、二年A組の塩貝優姫(しおがい ゆうき)よ」
「あっ、名乗らずにごめんなさいっ。私は――」
「一年B組の、結賀楓さんよね」
「は、へ?」
自己紹介をしようとすれば、さっと彼女に先に答えられてしまう。
「な、なんで……」
私の疑問の声に、彼女はおかしそうに小さく笑った。
「家族構成は、父、母、弟の四人暮らし。先月、親の転勤で引っ越してきたばかりでまだ友達がいない。部活は帰宅部で、得意科目は特になし。勉強も運動もそれほど得意ではないみたいね」
「なっ、なななななっっ」
彼女の口からペラペラと述べられたのは、すべて私自身のことだった。
「私。あなたのことだったら、なーんでも知りたいって思ってるの」
「ど、どうして……」
(まさか、お兄さんに近寄る女を退けるためとか?)
敵視されているのだと思い、ゾッと背筋を凍らせた。
彼女は私と同じ高校で、一学年上の先輩だ。学校で何をされるか、わかったもんじゃない。
「私はもう行くけど――、あなたは、あとから私に会いに来なきゃダメよ」
「えっ」
「当然でしょ。私は、あなたの恩人なの。お礼を言いに来るのは、人として当たり前でしょ?」
「は、はぁ……」
恩着せがましい言い方だと思ったが、学校の先輩なのだから、言うことを聞くしかない。
もちろん、ここまでしてもらっておいて、お礼をしないほど厚顔無恥ではないつもりだ。
「もちろん、後日あらためて先輩のところに――」
「ダメよ」
「え!?」
ずいっと先輩が私の目の前まで距離を詰めてきて、私は驚いて身を引いた。
背後は壁で、もう逃げられない。先輩の右足が、私の足の間に差し込まれて、ずりずりとスカートが上にあがってきた。
「ちょ、先輩のスカートも汚れちゃいますよ!」
そうだ、今私は生理がきたばかりで、そんなに密着されたら先輩まで汚れてしまうと思った。
焦りの声を上げた私に、先輩は。
「ぷっ。あははははは」
落ち着いた声からは想像できないほどの、軽快な笑い声がトイレに響いた。
「えっ、えええ?」
なんでこんな状況で笑っているんだろうと不思議に思ったが、先輩はいまだおなかを抱えるほどに笑い続けている。
「やっぱり、あなた可愛いわ」
「ええ……?」
もう、先輩が何を言っているのかわからなかった。先輩の目的はなんなんだろう。
「せ、先輩も私も、遅刻しちゃうし、今は勘弁してくださいっ」
言い逃げするように、私は先輩にそう言って個室トイレへと籠りガチャリと鍵をかけた。
(ずるかったかな? でも、本当に遅刻しちゃうし――)
はらはらしながら、私は個室の中で外の様子を気にしていた。
「今日中に、私に会いに来て」
「……?」
先輩の、落ち着いた声がした。
「後日じゃ、ダメよ。今日、また私に会いに来なさい」
「!」
コツコツと、足音が遠ざかっていく。
先輩は、私に"会いに来い"と言い残して去って行ってしまったようだ。
(ああ、やっぱり、あとで晒しあげられるとかっ?)
先輩は彼と双子で、きっと仲が良いに違いない。
"私の兄に近づくな豚が!"とか、酷いことをたくさん言われるんだ。
「うう~~。もう学校行きたくないよ……」
今日は朝から、色々起きすぎた。
そりゃ、告白した私がすべての原因なんだから、自分で招いた結果なんだけど。
「ただ、想いを伝えたかっただけなのに……」
ぐずり、と涙が出そうになるのを耐えて、鼻をすすった。
――このとき、私はまだわかっていなかった。
この日をきっかけに、確実に私の"恋"は前に進んでいたということに。
そして、私の告白は、終わりだけど始まりでもあったということに。
どぉんっと門が構えられた"特別教室棟"の一室の前で、私は立ち止まっていた。
今朝の告白で傷心中だったが、告白相手の妹さんであり、私の学校の先輩だという塩貝さんに呼び出されていたからだ。
「……き、聞いてない、聞いてない、聞いてないよ。まさか、あの先輩が、この学校の生徒会長だったなんて……」
ぷるぷると足を震えさせながら、顔を真っ青にして目が彷徨っている私だったが、先輩命令は絶対であると入学時から先生から聞いていたので、勇気を振り絞ってここまでやってきた。
「でも怖い、怖いよ。生徒会長を怒らせちゃったってことだよね? 私、本当にどうなっちゃうんだろ……」
生徒会室の扉を開こうと、何度もドアノブに手をかけては離しを繰り返していた。
「待って。そもそもこんな時間に生徒会室にいるのかな? 一年は授業終わったけど、二年はまだ授業中かも……!?」
すごいことに気づいてしまった、私ってば天才かも!?
そう考えて、私は思い切ってドアノブを回し、「たのもー!」と道場破りのような勢いで、生徒会室の扉を開いた。
「やっと来たのね」
部屋の中央で、重厚な椅子に腰を掛けながらにっこりと微笑んでいる先輩の姿がそこにあった。
机の上には、"第壱百弐代目生徒会長 塩貝優姫"と書かれた金色のプレートが置いてある。
「申し訳ございませんでしたああ!!」
あまりの武装力に、私はすぐに降参して、土下座を繰り出した。
「どうしたの、突然座り込んじゃって」
「私が、私が先輩のお兄様に手を出してしまったから……」
えぐえぐ、と顔を涙で濡らしながら、私は心から許しを請った。
「手なんて出されてないじゃない。おかしな子ね」
「こんな小娘が、先輩のお兄様に恋心を抱くなんて恐れ多いことをしてしまい……」
「まぁ。あんなクソヤローに楓ちゃんが捕まらなくって、本当に良かったと思っているわ」
(ん? "クソヤロー"?? "楓ちゃん"??)
どこからか、聞きなれない言葉が聞こえてきたような気がした。緊張のあまり、空耳となってしまったのかもしれない。
「あ、あのっ。私はこれからどうすれば……っ」
土下座の姿勢から上体を起こすと、すぐ目の前まで先輩が来ていたことに気づいて驚いた。
それでも私は逃げ出したい衝動に耐えて、先輩の顔を見上げた。
自分は何のために呼ばれたのか、これから何をすればいいのか。
結果を急ぐようだが、生殺しにされるよりも、さっさと本題に入って処刑してほしいと思った。
「……楓ちゃん。私は、ただお礼をしてほしいだけよ?」
「お、お礼は、もちろんです! すごく恥ずかしかったし、あそこから動けなかったから、先輩に助けてもらって、私本当に――」
「かっこよかった、かしら?」
「へっ?」
精一杯の謝辞を述べている途中で、先輩の声に遮られた。
"かっこいい"が何を示すのか、一瞬何を聞かれているのかわからなかった。
「――あ、そうですね。先輩、かっこよかったです!」
「ふふふ。そうでしょう」
満足したような先輩の声に、私の返答は正解だったのだと、ほっと胸を撫で下ろした。
「それで?」
「えっ?」
「かっこいい私に対して、思うことはないのかしら?」
「思うこと……ですか?」
なんだろう、先輩が何を求めているのか、さっぱりわからない。
どうやら怒ってはいないようだし、賛辞の言葉がほしいのかな……?
「せ、先輩はっ、綺麗でかっこよくて、尊敬してますっ!」
「それだけ?」
「っ、私は、先輩の少し癖毛の長い黒髪も、白い肌も、目元のほくろもどきどきするしっ。優しいのかと思ったら、ちょっと冷たくて、でも落ち着いた声だなって……」
あれ? 私、誰の話してるんだっけ?
最初は先輩の姿を見て思ったことを言っていた。だけど、今は――。私は、誰を思い浮かべてる?
「私に向けられた視線も、言葉も、全部が初めてで……、やっぱり、私まだ……っ」
振られたけど、簡単には諦められない。
もっと知りたい。私は、彼のことが――。
「んっ、むうぅ!?」
突然、顎を掴まれて、口を塞がれた。
目の前には、先輩の綺麗な瞳が、至近距離に見える。
(えっ、なに、これ!?)
「んぅ、ンン~~ッッ!!」
先輩にキスされてると気づき、私は先輩の肩を掴んで押し戻そうとするが、力が強くて逃れられない。
抵抗もむなしく、されるがままになっていると、ぬるりとしたものが私の唇を割って口内へと入ってきた。
(やだ、やだ! 気持ち悪い!!)
先輩の舌が私の口の中を移動する。
上顎をなぞったり、歯の並びを確認するように舌を添わせたり、好き勝手し放題だった。
そして、私の舌を見つけて強引に絡ませてきた。
「んっ、はぁっ」
(息ができない、苦しい!)
呼吸がうまくできず、頭が痺れて力が抜ける。
誰もいない生徒会室に、舌と舌が絡み合う水音がいやらしく響いた。
「はあ、はあ……」
ようやく先輩が離れてくれて、私はぼうっとする頭で、肩を上下させて大きく呼吸をした。
「……ごめんなさい。無理やりする気はなかったの」
「え……?」
先輩に謝られて、そういえばなんで先輩に突然キスされたんだっけ?と思った。
「ずっと見てたの。あなたが兄を見ている間、私はあなたを――。好きよ、楓」
先輩の、切なげに細められた瞳に吸い込まれそうだった。
ああ、やっぱり、この人は"彼"に似ている。
だから、私は――、この人との関係をここで終わらせたくはなかったのだ。
「……わ、私、初めてだったんです。責任、とってください!」
照れたように私がそういえば、先輩は。
「! ええ、ええ! 喜んで、責任をとるわ」
がばりと私に抱き着いて、先輩は嬉しそうに瞳に涙を浮かべて笑った。
百年の歴史を持つ伝統ある名門校、新海女子高校の生徒会長――塩貝優姫。
難攻不落、品性高潔、高嶺の花である彼女をたぶらかしてしまった私は、きっと天国なんか行けやしない!
【おわり】
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