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午前3時。 誰もいないコインランドリー。 この時間に、ここで、人に会うことはない。 洗濯物を乾燥機のドラム缶に入れて、待っている時間に、誰かに会うこともない。 でもそんな時間が心地良い。 真っ暗な夜の闇に包まれた、真夜中のコインランドリー。 一人だけの、緩やかな時間。 しかし、そんな時間を、ある時壊す存在が現れた。 それは乾燥機のドラム缶の中から現れた。 乾燥機の並びの前の、北欧調の簡素なテーブル席に腰掛けてスマホをいじっていた時、彼女は不意に現れた。 ドラム缶の中から。 背が高く、スタイルはかなり良いが、折れそうなくらい痩せた華奢な体つき。 でも顔は信じられないくらいの美人。 そんな女性が、いきなりドラム缶から出てきた。 彼女は、こちらの存在を全く気に留める風もなく、ドラム缶から出てきてから、フラフラとコインランドリー内を歩き回っていた。 見るともなく、恐る恐る、彼女の方を何回かチラ見したが、向こうはどこ吹く風で、こちらの視線など全く気にせず、踊るようにフラフラと歩き回り続けた。 そしてしばらくすると、コインランドリーの外の、真夜中の闇の中に、彼女はいつの間にか消えてしまった。 何がなんだかよくわからないが、彼女が消えてから妙に気になった。 洗濯物が乾くまでの間、それなりに時間があったが、今日は彼女のことで頭がいっぱいで、随分短く感じた。 いったい、彼女は誰? それが彼女との、最初の出会いだった。 次の土曜日。 午前3時。 真夜中の、いつもの誰もいないコインランドリー。 乾燥機のドラム缶に洗濯物を放り込んでから、誰も座っていない備え付けの北欧調のテーブル席に、いつものように腰掛ける。 でも、視線は乾燥機の蓋の方に釘付けになっていることに気がついた。 期待しているのか…? また、彼女が乾燥機の中から飛び出してくることを。 いや、あんなことがまた起きたら楽しいなと思ってるだけだ。 ちょっとした余興のようなものだ。 期待しているわけでは… しかし、そんなことを思っているうちに、またしても乾燥機の中から彼女は出てきた。 まさか…! 面食らっているこちらのことなど御構い無しに、彼女は長く細い美脚で、またコインランドリーの中を、しなやかに歩き回りだした。 チラッと目があった。 その美しい、切れ長の大きな瞳が、こちらに向って微笑んだ。 ドキっとしたが、出来るだけ社交辞令的な会釈を心掛けて頭を下げた。 彼女は、それからもコインランドリーの中を、その背の高いスタイルのいい肢体をくねらせて歩き回っていたが、またしても、いつの間にか、真夜中の闇の中に消えてしまった。 コインランドリーには、また自分以外誰もいなくなったが、辺りには、何故かセンチメンタルな彼女の気配が漂っていた。 またしてもキツネにつままれたような気分だったが、それでも妙に嬉しかった。 何が嬉しいのかわからないが、少し小さな幸福を感じた。 いや、本当は何が嬉しいのかはわかっている。 彼女に、また会えたからだ。 本当は、彼女にまた会いたくて、同じ時間の午前3時に、このコインランドリーにやって来たのだ。 洗濯物が乾くまでの待ち時間。 少しだけの幸福。 洗濯物が乾き、乾燥機から取り出しながら、また彼女が戻ってくるような気がして、ずっとこのコインランドリーに居続けたかった。 しかし、その日、彼女が戻ってくることはなかった。 水曜日。 真夜中の、誰もいないコインランドリー。 午前3時。 はっきり言う。 彼女にまた会いたくて、ここに、この時間にやって来た。 北欧調のテーブル席でスマホをいじる、フリをする。 視線は乾燥機の蓋に。 もし彼女が、もう乾燥機の中から出てこなかった時の絶望が嫌だったので、期待するのをやめた。 いや… 期待するのをやめた、フリをしただけ。 しかし、彼女は乾燥機の中からいつものように現れた。 そして、そして、出てくるなり、その美しい顔を微笑ませて、こちらを見ていた。 まるで、ずっと会いたかった愛おしい人を見つめるように、美しい瞳をこちらに向けて、また微笑んだ。 そして、 なんと彼女は、こちらに話しかけてきた。 「ねえ」 「はい?」 「あなたにまた会えて嬉しいわ」 「え?」 「また会えて嬉しいのよ、あなたは?」 「は、はい。う、嬉しいです」 「そう、よかった。ずっとあなたと二人でいたいわ」 「そ、そうですね」 「ふふふ、だからね」 「はい?」 「一緒にあの中に入らない?」 「え?あの中って、乾燥機のドラム缶の中?ですか?」 「そうよ。一緒に入って、一緒に行きましょう」 「一緒に?」 「そう一緒に。大丈夫、ちゃんと一緒に入れるから、ふふふ」 「は、はい」 しかし、彼女の白魚のように美しい手に手招きされ、こちらの手を握られた時、何故か、自分でもびっくりするくらい怖くなった。 どうしてだろう? 本当は、ここで彼女とまた会って、こうなることを何処かで望んでいたくせに。 彼女と一緒に、何処かへ行きたかったくせに… でも、急に怖くなった。 それだけは出来ないという気持ちが高まる。 彼女と一緒にいたいくせに。 彼女と一緒に、何処かへ行って、消えてしまいたいくせに。 だが、自分はつまらない人間だった。 内から湧き出る怖さが、そう告げていた。 自分がいかにつまらない人間であるかを。 「そう。じゃあ仕方ないわね」 こちらは何も話していないのに、急に彼女は全てを悟ったように、寂しそうに微笑んで、そう言った。 そして、その白魚のように美しく柔らかい手を離した。 彼女はまた、夜の闇の中に消えていった。 コインランドリーを出る時、彼女はチラリとこちらを振り返り、 さよなら と言ったように見えた。 誰もいないコインランドリー。 午前3時。 また誰もいない人生がはじまる。 外に出た。 夜風が顔にあたる。 センチメンタルな風。 真夜中の闇の中。 また誰もいない人生がはじまる。
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