13人が本棚に入れています
本棚に追加
1
午前3時。
誰もいないコインランドリー。
この時間に、ここで、人に会うことはない。
洗濯物を乾燥機のドラム缶に入れて、待っている時間に、誰かに会うこともない。
でもそんな時間が心地良い。
真っ暗な夜の闇に包まれた、真夜中のコインランドリー。
一人だけの、緩やかな時間。
しかし、そんな時間を、ある時壊す存在が現れた。
それは乾燥機のドラム缶の中から現れた。
乾燥機の並びの前の、北欧調の簡素なテーブル席に腰掛けてスマホをいじっていた時、彼女は不意に現れた。
ドラム缶の中から。
背が高く、スタイルはかなり良いが、折れそうなくらい痩せた華奢な体つき。
でも顔は信じられないくらいの美人。
そんな女性が、いきなりドラム缶から出てきた。
彼女は、こちらの存在を全く気に留める風もなく、ドラム缶から出てきてから、フラフラとコインランドリー内を歩き回っていた。
見るともなく、恐る恐る、彼女の方を何回かチラ見したが、向こうはどこ吹く風で、こちらの視線など全く気にせず、踊るようにフラフラと歩き回り続けた。
そしてしばらくすると、コインランドリーの外の、真夜中の闇の中に、彼女はいつの間にか消えてしまった。
何がなんだかよくわからないが、彼女が消えてから妙に気になった。
洗濯物が乾くまでの間、それなりに時間があったが、今日は彼女のことで頭がいっぱいで、随分短く感じた。
いったい、彼女は誰?
それが彼女との、最初の出会いだった。
次の土曜日。
午前3時。
真夜中の、いつもの誰もいないコインランドリー。
乾燥機のドラム缶に洗濯物を放り込んでから、誰も座っていない備え付けの北欧調のテーブル席に、いつものように腰掛ける。
でも、視線は乾燥機の蓋の方に釘付けになっていることに気がついた。
期待しているのか…?
また、彼女が乾燥機の中から飛び出してくることを。
いや、あんなことがまた起きたら楽しいなと思ってるだけだ。
ちょっとした余興のようなものだ。
期待しているわけでは…
しかし、そんなことを思っているうちに、またしても乾燥機の中から彼女は出てきた。
まさか…!
面食らっているこちらのことなど御構い無しに、彼女は長く細い美脚で、またコインランドリーの中を、しなやかに歩き回りだした。
チラッと目があった。
その美しい、切れ長の大きな瞳が、こちらに向って微笑んだ。
ドキっとしたが、出来るだけ社交辞令的な会釈を心掛けて頭を下げた。
彼女は、それからもコインランドリーの中を、その背の高いスタイルのいい肢体をくねらせて歩き回っていたが、またしても、いつの間にか、真夜中の闇の中に消えてしまった。
コインランドリーには、また自分以外誰もいなくなったが、辺りには、何故かセンチメンタルな彼女の気配が漂っていた。
またしてもキツネにつままれたような気分だったが、それでも妙に嬉しかった。
何が嬉しいのかわからないが、少し小さな幸福を感じた。
いや、本当は何が嬉しいのかはわかっている。
彼女に、また会えたからだ。
本当は、彼女にまた会いたくて、同じ時間の午前3時に、このコインランドリーにやって来たのだ。
洗濯物が乾くまでの待ち時間。
少しだけの幸福。
洗濯物が乾き、乾燥機から取り出しながら、また彼女が戻ってくるような気がして、ずっとこのコインランドリーに居続けたかった。
しかし、その日、彼女が戻ってくることはなかった。
水曜日。
真夜中の、誰もいないコインランドリー。
午前3時。
はっきり言う。
彼女にまた会いたくて、ここに、この時間にやって来た。
北欧調のテーブル席でスマホをいじる、フリをする。
視線は乾燥機の蓋に。
もし彼女が、もう乾燥機の中から出てこなかった時の絶望が嫌だったので、期待するのをやめた。
いや…
期待するのをやめた、フリをしただけ。
しかし、彼女は乾燥機の中からいつものように現れた。
そして、そして、出てくるなり、その美しい顔を微笑ませて、こちらを見ていた。
まるで、ずっと会いたかった愛おしい人を見つめるように、美しい瞳をこちらに向けて、また微笑んだ。
そして、
なんと彼女は、こちらに話しかけてきた。
「ねえ」
「はい?」
「あなたにまた会えて嬉しいわ」
「え?」
「また会えて嬉しいのよ、あなたは?」
「は、はい。う、嬉しいです」
「そう、よかった。ずっとあなたと二人でいたいわ」
「そ、そうですね」
「ふふふ、だからね」
「はい?」
「一緒にあの中に入らない?」
「え?あの中って、乾燥機のドラム缶の中?ですか?」
「そうよ。一緒に入って、一緒に行きましょう」
「一緒に?」
「そう一緒に。大丈夫、ちゃんと一緒に入れるから、ふふふ」
「は、はい」
しかし、彼女の白魚のように美しい手に手招きされ、こちらの手を握られた時、何故か、自分でもびっくりするくらい怖くなった。
どうしてだろう?
本当は、ここで彼女とまた会って、こうなることを何処かで望んでいたくせに。
彼女と一緒に、何処かへ行きたかったくせに…
でも、急に怖くなった。
それだけは出来ないという気持ちが高まる。
彼女と一緒にいたいくせに。
彼女と一緒に、何処かへ行って、消えてしまいたいくせに。
だが、自分はつまらない人間だった。
内から湧き出る怖さが、そう告げていた。
自分がいかにつまらない人間であるかを。
「そう。じゃあ仕方ないわね」
こちらは何も話していないのに、急に彼女は全てを悟ったように、寂しそうに微笑んで、そう言った。
そして、その白魚のように美しく柔らかい手を離した。
彼女はまた、夜の闇の中に消えていった。
コインランドリーを出る時、彼女はチラリとこちらを振り返り、
さよなら
と言ったように見えた。
誰もいないコインランドリー。
午前3時。
また誰もいない人生がはじまる。
外に出た。
夜風が顔にあたる。
センチメンタルな風。
真夜中の闇の中。
また誰もいない人生がはじまる。
最初のコメントを投稿しよう!