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第十九話:門出の扉を開く前にやっておくべきいくつかのこと
アロゥが消えていった扉をしばらく呆然と眺めていたが、とりあえず自分が置かれている環境ぐらいは把握しないと、と、振り返って部屋を見回す。
しかし部屋と呼ぶにも無理があるようなその客間は、一体どれほどの広さがあるのか、一体どれほどの高級家具が並んでいるのか、もはや魔法や幻術の類でそう見せているだけなのでは無いかというような、お伽噺に出てくる中でも最高クラスのお城のさらに数倍は豪華に感じるほどで、
「なんかもう……好きなようにくつろげって言われても、何をどうしていいかわからない……」
ますます呆然とした気分に陥っていると、
「キャミル様」
ふいに声がかけられ、びくっと驚き振り返った。
「まずは湯浴みでもなされて、お召し物をお着替えなされてはいかがでしょうか?」
「うぉっ!?
置物じゃなかったの!?
あんまりきれいだからてっきりお人形だと思ってた……」
キャミルの前に二人のメイドがゆっくりと歩み寄り、部屋の奥を指し示しながら微笑んだ。
「ふふ……私たちは婚礼までの間、キャミル様の身の回りのお世話をさせて頂きます、シャーロットと……」
「ルーリーにございます」
長いストレートの金髪と長いストレートの黒髪の、色違いの人形のような美しいメイド二人が、背筋がぞわぞわするような妖艶な微笑みを浮かべながらキャミルに深々と頭を下げた。
あぁ、確かにこの数日登山しててまともに着替えすらしてない、と自分の体の臭いを嗅ぎ「うわヤバ」と我ながらドン引きしたキャミルは、とにかく二人にうながされるがままに浴室へと入った、が、
「うおぃ!?
何よこの風呂!?
馬鹿じゃないの!?
何百人一緒に入るつもりなのよ!?
謎の花びらまで巻き散らかしてさぁ!
掃除とかどうすんのよ、超めんどくさいじゃない!
排水口詰まっちゃうんじゃないの!?」
世界観のあまりの違いに一人で大声でツッこんでしまった。
「魔王のお城クラスになるとこれが普通なのか……、って、あぁ……ってかまぁ……そんなの関係無いのか……。
魔王なんだし、魔法とかでブワーッと片付けられるんだろうし……」
自分が庶民の感覚でしか無いだけだな……と若干切ない気分になりため息をつきつつ、壁際の隅っこで、なぜかなんとなく周囲をきょろきょろと見回しながら、恐る恐る湯に浸かった。
はぁ……落ち着かない……。
大丈夫かな……こんな暮らし、着いていけるかな……。
それにあんな美人が当たり前にメイドとかしてる中で、あたしなんかで……本当にいいのかしら……アロゥ……。
なんであたしなんだろ……。
目の前に浮かび流れてきた花びらをつかもうと手を伸ばすが、水の張力のせいか弾かれるようにその指先から逃れ、他の花びらの中へと紛れていった。
うーん……わかんない!!
わかんないことは考えても意味が無い!!
とにかく何日かしたらアロゥが迎えに来るって言うんだから、そしたら本人に聞けばいいんだし、まずはこの部屋の探索でもして全容を把握して、数日とは言え自分の部屋として落ち着けるように頑張ろう!
なんたって勇者ですからね……、家探しや隠しアイテム荒らしの類はお手の物ってもんよ。
ふふ……ふふふ……なんだか楽しくなってきたわ……。
不審な笑みを浮かべながら勢いよく湯から上がると、キャミルは大股で元の部屋へと戻って行った。
その後数日、極上の食事と極上のベッドも用意されたその広大な部屋で、二人のメイドにもてなされながら、最初はその目を盗むように、しかしやがて特に構わないといった様子なので堂々と、部屋中をくまなく探索したり、自分好みに大規模に模様替えしてみたり、衣装部屋のドレスを片っ端から試着してみたり、一日に何度も風呂に入ってみたりと、でき得る限りのミッションを完遂したキャミルだったが、
「なんかさすがにこれだけマーキングして見慣れちゃうと飽きたっていうか……。
そもそもこんなことをするためにここにいるわけじゃないし……アロゥ、まだかな……。
ねぇ?」
頭を掻きながらメイドに尋ねると、
「先ほどちょうど連絡を頂いたところでございます」
「婚礼の儀は、明日の午後より執り行うことになりましたわ」
「えっ!?明日!?
また急に……まぁいっか、やっとだもんね……」
朗報を告げられ、高い天井を見上げて一人微笑んだ。
「いよいよ明日か……アロゥ……」
愛しい魔王を思い出しながら、両手を後ろ手に握り合わせ、どことは無しに部屋を彷徨っていると、
「……痛っ!
何これ……って、あたしの盗賊の棺じゃない。
すっかり忘れてたわ……」
ここへ来た時に身に着けたり所持したりしていた冒険アイテムをすべて放り込んで部屋の隅に置き去りにしていた小箱につまづき、懐かしげにそっと拾い上げた。
「あぁ……そうだ……荷物の整理でもしよっかな……。
もう勇者としての冒険グッズなんて、必要無いもんね……」
と、過剰に女子女子しく装飾された小箱から一つずつアイテムを取り出し始め、
「おつかれさま……今までずっとありがとうね……」
などと言葉をかけながら順に丁寧に並べていった後、わずかに逡巡してから、黒い表紙のノートをその手に現した。
「そう言えば……アロゥと出会ってから一度も書いてない……」
さらにもう一冊、白い表紙のノートを取り出しながら、少し恥ずかしげに、懐かしげに微笑む。
「これもあたしにはもう必要無いものなのかもね……。
みんな……もう二度と会うことも無いかも知れないけど、色々ひどいこといっぱい書いちゃってごめんね……。
嫌なことも散々あったけど、そのおかげで今があるんだもんね……。
だから、今となっては全部いい思い出……」
すべてのノートを取り出し床に並べ、しばらくその三十六冊の白と黒の表紙を眺めていたが、やがて再び一冊ずつ盗賊の棺の中へと収めていった。
そして翌朝。
「キャミル様、お時間ですわ」
「お召し替え致しましょう。さぁ、こちらへ」
二人のメイドがベッドに歩み寄り声を掛けると、眠たげに目をこすりながら起き上がったキャミルの両側からその手を取り、隣の衣装部屋へといざなった。
「ふぁー……ぅわ!?
なにこれすごい!?
嘘でしょ!?」
出かけたあくびが吹き飛ぶほどの驚きに思わずキャミルが声を上げる。
すべての服が片付けられ広々としたその部屋に代わりに用意されていたのは、それはそれは、まさしく魔王の花嫁が着るに相応しい、キャミルが今まで見たことも無いような、筆舌に尽くし難い豪華絢爛な純白のウェディングドレスであった。
衣服をすべて脱ぎ捨て、大きな鏡の前で二人のメイドに手伝われながら下着から順に何枚も重ねて着付け、レースや花や妖精の装飾品を一つずつ丁寧に配置し、髪を整え、メイクを施していくと、いやがおうにも、あぁ……あたし、結婚するんだ……、と実感が湧き始め気分が高揚していく。
「『遅咲きの大輪』か……。
こういうことだったのね……。
やっぱり陽星月占術はよく当たるわぁ……」
とても自分とは思えない鏡の中の美しい花嫁を見詰めながらつぶやく。
「父さん、母さん、じいちゃん、セシリィ、ディール、村のみんな……。
きっともう二度とそっちには戻れないし、手紙も届けられるかわからないけど……、あたし今日……結婚するの……。
あたし……魔王の妻になります……!」
最後にきらびやかに上品な輝きを放つ無数の宝石が散りばめられたティアラを冠して、三時間以上をかけた支度がついに終わると、再び両側から手を引かれ、やがてキャミルは式場に入る巨大な扉の前に立った。
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