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第二十三話:己を救いしものは
その時、灯りも消され暗闇に包まれたキャミルの居室で、かたかたという小さな音が響き始めた。
音の源を辿ると、それは部屋の片隅、もはや誰の目に触れることも無いであろう、ゴミ箱の隣に捨て置かれた、小刻みに揺れ床を鳴らすキャミルの盗賊の棺であった。
振動と音は徐々に激しさを増し、やがて小箱が飛び上がるほどになり、何度目かの地面との衝突の衝撃でか、ついに蓋が勢い良く開かれると、箱の中から光り輝く何かが一斉に解き放たれ飛び去って行った。
一方の婚礼会場では、観客席の王妃たちが悲鳴や怒声やさらなる悦楽の声を上げる中、キャミルからのふいの斬撃に動じることも無く、
「ははは、緊張し過ぎですよ、キャミル。
それともこういうプレイがお好きなのですか?
いいですねぇ、さすがは勇者です。
私も嫌いでは無いですよ。
ですがそれは式が終わって後の初夜にてじっくりとご披露頂きましょうか」
などと笑っているアロゥに、正面から相対した真っ白なウェディングドレス姿のキャミルが、破邪の剣をしっかりと構え直していた。
「アロゥ……ほんの短い間だったけど、夢を見させてくれてありがとう……。
でも……ごめんなさい……。
あたし……駄目みたい……。
やっぱり駄目みたい……。
こんなことを受け入れられずに本気で感情的になっちゃって、自分の正義を貫こうなんてしてるから、きっとろくにまともな結婚もできないのよね……。
でも……本当にあなたを愛してた……。
でも……だからこそ……あたしはこんなこと許すことはできないの……。
人を騙したり裏切ったりって、いちばん良くないことでしょう……?
それもアラサー女の純情や結婚を弄ぶなんて、ひどすぎるよね、許しちゃいけないよね……。
何より、そもそもやっぱりあなたは魔王で、あたしはそれを打ち倒すために存在する、正義の勇者なんだから……ごめんなさい……」
キャミルの頬を一筋の涙が伝った。
「ふぅーむ……これはこれは……。
やはり旅の途中で事に及んでおかない場合は、魔気の注入が不足するようですねぇ。
しかしまぁ問題はありません。
第三八四一番王妃のピーリアなどいきなり最終魔法で私をばらばらに吹き飛ばしましたからねぇ。
それでも初夜を越えればすっかりご理解頂き今では誰よりも貪欲に私をお求めなさるほどですから……。
それに何度も言うようですが、ここは魔界で、私は魔王なのです。
魔界は私の魔気で満ち、同時に私は魔界の魔気を無尽蔵に吸収し放出できますから、魔界そのものが消滅でもしない限り私に死などありません。
この程度の傷などほら、この通り……に……?」
先の無い左腕を掲げて見せる、が、違和感を覚える。
「再生……しない……?
なぜ……」
傷口からは黒く輝く霧のようなものがこぼれ落ち続け、宙を漂い破邪の剣を伝ってキャミルへと吸い込まれていく。
「な……私の魔気を……私の体内から直接吸収しているのですか……!?
人間がそんなことをすればあっという間に魔気に支配され正常な意識も肉体も保てなくなりますよ……!?
王妃たちを魔界にお連れする際など、本当にほんのわずかに薄めた魔気を、本当にほんのわずかにそっと撫でる程度に送り込むだけなのですから……。
いや……だとすればこれは……破邪の剣の能力……か……?」
剣に秘められた危うい能力にアロゥが懸念を示し始める中、当のキャミルもその想定外の現象によって、破邪の剣を通して自分の意思とは無関係に流れ込んでくるその魔気の穢れに、体にも精神にもひどく粘り付きよどんだ痛みと重圧を覚え、苦悶の表情で思わず膝を付いていた。
あぁ……魔王の魔気……なんて禍々しくて……なんて穢らわしい……。
快楽愉悦が溢れ出すというのに、体中が腐り落ちていきそう……。
このままじゃあたし……おかしくなっちゃう……。
破邪の剣がこんなことをしているというの……?
だったら早く剣を捨てないと……これ以上は……!
しかし剣から離そうとしている手は、自分ではその五指を開き力を抜いたはずなのに、離れるどころかさらに強く握り締められ、勝手に天に掲げられた剣が延々と魔王の魔気を吸収し、キャミルへと流し込んでいく。
これが……破邪の剣の力……?
道理で今まで誰も無事に持ち帰った人間がいないわけだわ……!
敵の魔力を吸い出して倒す代わりに、剣の持ち主が魔物になるか死ぬか、ってこと……!?
いやよ……そんなの……いや!
でも一体どうしたら……?
魔王の魔気なんてあたしなんかが全部吸収できるわけないじゃない……!
どうしたら……どうしよう……いや……助けて……誰か……助けて……!
と、その時、もはや地面に倒れ込みながらかろうじて剣を睨みつけるその視線の先で、白と黒に光り輝く何かが天井を突き破ってキャミルへ向かって一直線に飛来してきた。
「!?何!?
……って……これは……あたしのノート!?
一体どうして……!」
白と黒の三十六冊のノートが、キャミルを囲みながら六つの六芒星を形作り、キャミルを中心に回転し始めると球体の陣を描き出し、アロゥの魔力をさらに凄まじい勢いで吸収し始めた。
「ちょ……っと!?
どういうこと!?
こんな勢いで流し込まれたらあたしもう……!?」
うろたえるキャミルだったが、なぜか全身がけだるい重圧的虚無感から解放されていくのを感じ、
「え……?どうして……?」
と、ゆっくりと立ち上がり、それでもまだなおアロゥの魔気を吸収し続けている、自分の周囲に描かれた光の球体を不思議そうに見詰めた。
「まさか……そうか……!
黒表紙のノートには私の実直で誠実な正義の心、白表紙のノートには私の闇の心が強く刻まれ宿っている……。
吸収した魔気の穢れが黒表紙のノートで浄化されて、純粋な闇の魔力だけが白表紙のノートに呼応して融合して、私の魔力に書き換えられているんだ……!」
「な……!?
そんなことが……有り得るはずが……!!
一体何なのです!?
そのノートとは!?」
魔界自体から魔気を補い修復することすら間に合わないほどの勢いで魔気を吸い出され衰弱していくアロゥが、キャミルに代わり苦悶の表情で膝を付きながら問うと、
「そう……結局己を救えるものは己の刻んできた道のりだけ……、信じられるものは自分だけ……ってことなのね……。
ありがとう……昔の自分……。
捨てようとしちゃってごめんね……。
過去は、捨てようとしたって捨てられるものじゃ無いんだもんね……。
自分自身から逃げちゃ駄目だよね……。
自分が積み上げてきた自分の人生だけが、自分にとって本当に信じられる、価値のある、大切な武器であり防具だったってことなんだね……」
独り言のように球体を描くノートに向かって優しく語りかけていたキャミルだったが、やがてアロゥに向き直り、
「これは……あたし……。
あたしの……生きてきた証……あたしの……魂そのもの……。
ふ……ふふ……おかしな話よね……。
あたしは別に生まれも育ちもただの田舎者の、何の才能も血筋も秘められた能力も無い、養成所なんかに通ってやっとのことで勇者とか名乗れるような、本当にどこにでもいるただの普通の一般人だってのにね……。
そんなあたしの魂でも、積み重ねれば魔界や魔王の魔気なんかよりもよっぽど闇深く、その力を凌駕してしまえるなんてね……。
アラサー女の心の闇も、行くとこまで行ったもんだわ……」
自嘲気味に笑い掛け、再び正眼に破邪の剣を構えた。
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