午前3時の幽霊

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「なんか食欲なくてねえ。君の顔を見に来ただけになっちゃたよお」  えへへ、笑う彼女が普段通り過ぎて拍子抜けする。本当に美那は、重い病を患っているのか?僕の考え過ぎか? 「今日はね、君に伝えないといけないことがあって」 「僕も美那に聞きたいことがあるんだ」 「あら、両想い」 「だったら、良かったのにね」  重たい空気が僕たちを包んでいる。僕の真剣な表情に美那も茶化すのをやめた。 「美那、君って実は――」 「私、引っ越すんだ!遠いところに」  僕の言葉を遮るように、彼女が告げた。 「だから、ここに来るのは今日が最後なの。ごめんね」 「……え?」  思いもよらぬ発言に理解が及ばない。でも、どちらにしろ結論は同じだ。美那は僕の前から消えようとしている。 「嘘、だよね?」 「残念、本当だよ」 「嫌だ、って言ったら?」 「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、もう決まったことだから私にはどうすることも出来ないよ」  美那が悲しそうに笑った。彼女の意思では、どうすることも出来ない決定事項。そう割り切ることは簡単だ。でも、僕の感情は嫌々と首を振る。 「本当にただの引っ越し?」 「そうだよ、それ以外に何があるの?」 「病気、じゃないの?」 「――どうして、そう思うの?」 「どうしてって……」  僕の通う高校に君と同じ名前の人がいて、その子が病気で退学になったから。君がその子かと不安になって、居ても経ってもいられなくなった――って、言えたら楽なのに。 「違うよ。本当にただの引っ越しだよ」  美那は僕を安心させるように、柔らかく微笑んだ。 「確かに、元々身体は強くはないけど、今すぐいなくなっちゃうほど悪くはないよ。親の仕事の関係で引っ越しだよ」 「本当に?」 「そうだよ。紛らわしくて、ごめんね」  いつからだろう。暑くもないのに、美那の頬を伝う滴が留まらなくなったのは。  いつからだろう。呼吸が浅く、小刻みになったのは。優しく、柔らかく、且つ苦しく笑うようになったのは。いつからだったろう。 「本当なんだね」 「うん。本当だよ」  私の嘘を信じて欲しい。そんな響きを含んでいる、ような気がした。だから、僕は。 「うん、信じるよ」  信じることにした。彼女のついた甘く残酷な嘘を。 「いやあ、残念だなあ。もう君に会えないなんて」  美那の姿は儚く、触れば消えてしまう幽霊のように僕には見えた。 「実はね、私ね、甘いものを食べるのに適してたから此処に来てたけど、君に出会ってからはね、君に会うことを目的に此処に通ってたんだよ」  ――僕もだよ。 「本当はね、私スイーツよりも君の方が――なんて、もう遅いね」  ――そうだね、遅いね。もうどうすることも出来ないんだから。 「ありがとう。私と出会ってくれて」  ――僕の方こそ、ありがとう。 「君のこと、絶対に忘れない」  ――僕だって、忘れない。忘れられない。だって、頭に固着して離れないんだから。  一瞬の出来事だった。柔らかい感触が唇に触れて、気付いたら僕のもとを去る彼女の後姿が見えた。僕はそれに手を伸ばし――下ろした。名前を呼べば、追いかければ、引き留めることは出来たのに、しなかった。繋ぎとめたところで、僕達の未来は変えられないし、僕の胸を締め付ける痛みは改善されないから。  初めては、塩辛い涙の味がした。
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