27人が本棚に入れています
本棚に追加
彼女は時折嗚咽を混じらせながら言う。
「ポチ太郎は、うちの家族なの。……昔は、お母さんも、そう言ってたのに」
なのに、と。
涙が一滴、コンクリートに落ちて乾く。
「なのに、ポチ太郎が死んだ日、『死んだら帰ってこないんだから、もう忘れなさい』だって。はっ、なにそれ。なに、それ……っ!」
彼女は歯を食いしばりながら泣く。
ぼろぼろと雫が流れ、微かに開いた口元から何度も小さな嗚咽が漏れる。
――人は変わるよ。雨は止むのと同じように。
彼女の言葉を思い出す。
それは本当なんだろう。僕だって今まで生きてきた中で、自分を変えなきゃいけないと思った瞬間はいくらでもある。
前を向くために殺さなきゃいけない自分もいる。
……でも、だからって。
なんで彼女がこんなに苦しまなきゃいけないんだろう。
僕は泣いている彼女の下へ歩み寄る。
空は透き通るくらいに青く、太陽は憎らしいほどに眩しい。
近付いてくる僕の足元が見えたのか、彼女は顔を上げる。
「え」
涙を乗せた瞳を丸くして、彼女は目の前に立ち尽くす僕を見た。
「……なんで、傘を差してるの」
僕は彼女の頭上に傘を差していた。
持っていた透明のビニール傘。
そして彼女に、なんで、と訊かれたから。
「――傘を」
僕は彼女の赤くなった目を見て答えた。
「傘を差さなきゃと思って」
それは到底答えにはなっていなかったけれど。
透明な膜を通って、歪んだ光に照らされた彼女は。
小さい声で、ありがとう、と言った。
最初のコメントを投稿しよう!