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音と光に包まれて、気がつけば見知らぬ建物の前に立っていた。
時計はずっと鳴っている。静かな所が唯一の利点だったのに、どうして捨てちゃうんだよ。
周りを見渡すが、光の中みたいに建物以外何も見えない。光の中にいるのに建物だけ見えるっていうのも変な話だけど。
建物は、太い柱時計見たいな見た目だ。ドアの上には『時計屋』と武骨に書かれている。僕の周りをぐるぐるしていた今はベルの音を奏でている時計がそのドアに近づくと、ドアはゆっくり開いた。
「やあ、どうぞ中へ。いらっしゃい」
中からそんな声がして、かなり不安だが、ここに入るしかなさそうだから誘われるままに足を踏み入れた。
そこには、尋常じゃない数の時計が壁を埋め尽くしていた。壁だけじゃない、天井にも、置かれているテーブルにも、そこかしこに置かれかけられ貼り付けられている。全てが違う時間を刻んでいて、秒針の音や振り子の音、機械が動くような音やらが色んなところから聞こえてくる。だけどどうしてか、不思議と落ち着く。
その時計の中に埋もれるように、一人の眼鏡の男性が座っていた。こちらに目もくれず、目の前のテーブルに何かを広げていじっている。他には誰もいなそうだ。
あの人が、声をかけてきた人だろうか。
「河瀬千景さん、かな? 飯田光男さんのお孫さんの」
「ど、どうして」
顔を見ることなく僕とじいちゃんの名前を当てられて、言葉が詰まる。判断が遅れる。一瞬遅れてどうにか逃げようと考えられたが、眼鏡の人は何かをしようとはしてこない。
時計の音と、何かをいじる音だけが数秒流れる。よく見れば、眼鏡の人が持っているのは時計みたいだ。直しているらしい。
「ちょっとだけ待っててほしい。なぁに、ここに時間の概念はないんだ。そうだね、これが終わるまで、少しだけ説明をしようか」
話しながら手は滞ることなく動く。器用だ。
変な場所だし、僕とじいちゃんのこと知ってるし、怪しさと不安しかないはずなのに、この店の現実感の無さと眼鏡の人のこちらへの興味の無さが、警戒心をいまいち持たせない。話だけは聞いてみようと思えるくらいに。
「君の周りをくるくるしていたのは衛星時計。ここに来る人だけに見えるようにしてある」
衛星時計は今は眼鏡の人の頭上をくるくる回っている。なんだか、大好きな飼い主にじゃれている犬みたいに見える。
「ここは時計屋。様々な時を刻みながら、どこの時間とも繋がって、何処の時間にも干渉されない場所。まあ異世界とかパラレルワールドとか異次元とか、君の変換しやすいように変換してね」
「僕は、あなたに連れてこられたってことですか?」
「まあ、そんなところにしとこう。よし、出来た」
なんだかはぐらかされた気がするが、眼鏡の人は持っていたものを全て置くと立ち上がった。意外と背が高いことにたじろぐ。僕が小さいだけというのは黙っていよう。
「さて、君に来てもらって理由は、飯田光男さんから与ってるものがあるからなんだ」
作業を終えても僕の顔を見ようとはせず無表情のまま背を向ける。そこにはまさに大きなのっぽの古時計という言葉が似合う時計があって、それをドアのように開けて中に入って行ってしまった。
呆然と見ていると、すぐに戻ってきて、手には何か筒状のものがあった。掛け軸だとすぐにわかったのは、それが見覚えのあるものだったからだ。
「それって」
「ええ、光男さんからあなたへの贈り物です」
じいちゃんが死んで、そのあとどうしてかみつからなくなったものだ。こんなところにあったなんて。
「そして、これが光男さんから私への依頼です」
そういうと、掛け軸が勢いよく解かれて、月を見上げる鳥の描かれた水墨画が見えるとすぐに、また光に包まれた。
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