アラームは午前3時に

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  「博士、いよいよですね」  午前3時にセットされたアラームを再度確認して、私は彼に語りかけた。  足掛け十数年、ついに私たちの計画が実を結ぶのだ。自然と語尾にも力が入る。 「あぁ、全てが終わるまで気は抜けない」  これが最初で最後だからな、とルーカス博士は続ける。 「これから仕上げだ。眠気覚ましにコーヒーでも飲みたまえ」  博士は両手に持ったコーヒーの片方を私に手渡すと、マグカップを掲げた。私もそれに応える。 「あと少しだ、もうひと頑張りと行こう」 「乾杯」  2つのマグカップがこちりと小気味良い音を立てた。  そのまま黒い液体を喉に流し込む。この苦味が私たちの動力源だ。  博士はと言うと、私と同じくコーヒーを喉に通しつつ、出会った当初よりも白が目立つようになった長髪の間から聡明さを感じさせる凜とした視線を館内に並ぶ装置に向けている。  装置の中で人々は眠り、旅路の先を夢見ているだろう。  私は博士の視線を追うと同時に、これまでの日々が古いフィルム映画のように蘇るようだった。  私たちの星が繰り返された争いと環境汚染が原因で近い将来住めなくなるとわかったのは、今から随分と前の話だ。  何とか最悪の事態を回避しようと人類は尽力した。  しかし、その努力も虚しく世界各国で戦争が勃発し、多くの生命が失われた。  もうどうにもならないところまで来てしまった。この星では二度と生命は繁栄できず、徐々にその存在を消していくのみであろう。    そんな時に博士はついに完成させた。この宇宙船を。  ルーカス博士は何十年も前から、最悪の事態を考慮し国や権力者たちに「この星から避難するための手段」を持つことを訴えてきた。しかし、その当時、承認を得ることは非常に難しかった。人道的な問題もあったし、何より人は悪いことは目を瞑りたくなるものだ。  十数年前、核兵器が使われ始めたことをきっかけに事態は急変する。ことの深刻さをついに理解した政府は動き出し、博士が中心となって秘密裏に計画は進められた。少数精鋭の人類を宇宙の外へ逃がし、種としての存続を託すこととなったのだ。    人類が存続する可能性を少しでも上げるために、私たちは最高の技術で宇宙船を作り上げ、最高の人材を掻き集めた。  そして、人類の代表たる彼らは今しがたハイパースリープモードへ入った。いわゆる人工冬眠だ。次に目覚めるのは船が新たな星にたどり着いた時であろう。  もっとも、その時、ここに留まる私たちはとっくの昔に死に絶えているだろうが。  全ての人類を救えないことに心が傷まないとは到底言えない。  だが、決して後悔はしていない。資源も時間的猶予もないこの状況では最善だと断言できる。  宇宙船を送り出すのは、私と博士の二人だけ。  一般市民には知らせていない計画だ。見送りの群衆はいない。  午前3時にこの船はひっそりと宙へと旅立ち、新天地へと人類を導くだろう。    このロケットが無事に大気圏を超えて、宇宙まで行ってくれれば私たちの仕事は終わりだ。  計画が進められることが決定し、このプロジェクトに誘われてからまぁまぁ長い年月が流れた。自分が関わってきた、それも人類に貢献できる仕事の仕上げを尊敬すべき博士とともにできることが、いくら人類存続がかかった大事業であっても、ただ単純に嬉しかった。  博士と私はこのプロジェクトが終わった後、宇宙船には乗らずに滅びゆくこの世界に留まる。  このあとは年に関係なく二人とも仕事は辞めるだろう。やり続けても先のない世界ではそんなこと無意味だし、もしかしたら不謹慎かもしれないが、刹那の時間を博士とのんびり過ごせそうでいいな、なんて思っている。  コーヒーを飲み終えた私たちは最終登場チェックに入った。  乗り込んだ人と装置が割り振りに一致しているか、ハイパースリープ機器に異常はないか調べる。PCなどの画面上だけでなく、一つ一つの装置を目で確認し余念無く行なっていく。    しばらく作業を進めていると、私は不可思議なことに気がついた。  一つだけ、誰も入っていない装置がある。  画面上に異常はなかったはずだったのだが、実際の目視確認をしたところ人が入っている気配がない。数値がどうとかではなく、明らかに人が入っていない。  乗せるべき人間はチェックリストと照らし合わせて乗せ切ったはずだ。乗るべき人がいないのであれば、ここに空の装置があっても機材と空間の無駄である。そんなはずはないのだか。  自分の知らない余分な装置がある。 「博士、これは……」 一抹の不安を抱きながら、私は博士に問いかける。 「気づいたか」  気づくよな。そう独り言のように博士が呟いたかと思うと、装置の扉が開いた。数値が示していたように、中には誰もいない。空っぽの棺みたいだった。 「それは、君の席だ」 「え……?」  思いもよらぬ博士の言葉に困惑せざるを得ない私に、博士はいつになく早口で告げる。 「君はこの船に乗る。これは決定事項だ。政府にも承諾を得ている」 「なんですか?その話。私の耳にはそんなこと一度も入っていません。博士と私でこの船を打ち上げるのが最後の仕事なのでは」  あまりの混乱に脳味噌もぐちゃぐちゃになったような目眩を起こしそうだった。肝心の博士は後ろを向いたままで、その表情は伺えない。それざ余計に私を不安にさせる。 「この計画は行って終わりではない。未知の可能性を秘める星へと不時着した後も、宇宙船を拠点として人類の生活は続くだろう。その時にこの船を設計し、作り上げ、その全てを知る者が乗り込まなければ、いざという時に対処できない。そのための要員だ。年のいっている私よりも君の方が適任だと判断した」  ここまで語り終えると、博士はゆっくりとこちらに向き直る。 「というのは、建前だ」  本当はただの私のエゴなんだ、と零す博士はいつになく私の目をじっと見据えている。そのまま私を磔にできそうな瞳だった。 「仕事を通して君とは本当の友になったと思うよ。この後の短い時を君と二人で気ままに暮らせたら、それも悪くないなとも思った。たとえ、この星が滅んでも、君が隣にいるならそれでいいかなと」 「だが、君に生きて欲しいと思ってしまった。いつからかはわからない。いつのまにか……私と共に短い時間を生きてもらうよりも、君には長生きして欲しいと願ってしまった。そこに私がいなくてもよいからと」 「何で私なんですか?私なんかより、ルーカス博士、あなたの知恵と技術の方が……」 「君はこの先の未来を生きなければダメだ。そこに老いぼれの私は必要ない」   どうか、私のわがままに付き合ってくれ。 なんだそれ、なんだそれは。 あなたと共に過ごせたらと思っていたのは私だけかと信じ込んでいたのに。 それなのにあなたは私を生かすのか。人類存続なんて、そんなところに私1人だけやってしまうのか。 共に行こうとは言ってくれないのか--。 嬉しいも悲しいも憎らしいも愛しいも、全てが一気に綯交ぜとなって私の心を支配した。  博士の話に納得がいかず、私は想いを言語として抽出できないまま、彼の胸ぐらに掴みかかろうとする。  だがそれは叶わなかった。  突然、視界がぐらつき、手から足から力が抜けていく。まるで骨を抜かれてしまったかのように身体の自由が聞かなくなってしまった。 「すまない、先ほどのコーヒーに一服盛らせてもらった」  どうか、向こうでも息災で。    それが私が最後に聞いた博士の言葉となった。  いつもの「お疲れ様」みたいな軽い調子の、静かな挨拶だった。        博士が一人で見送った宇宙船は今日も故郷とよく似た星を探している。  静まり返った船内には、午前3時を告げるアラームだけが響いていた。
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