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彼女と初めて出会ったのは、一か月ほど前のことで、僕が下宿でひとり、お気に入りのラノベの新刊を読んでいたときのことだった。
滅多に鳴ることのないインターホンが、その聞きなれない音で僕を玄関口まで急かし、のぞき窓で訪問客の様子を窺ってみた。すると、そこには僕の知らない宇宙が広がっていた。Uの字に歪曲した廊下の線の上に、或る一人の異星人が、ぴょこんと立っている。
ぴょこんと。
ぴょこんと猫耳が生えておる。
赤髪の上に、猫耳、そして、なんといっても胸が、大胆にはさみで切り抜きましたよと言わんばかりの開けっぴろげの胸元が、これはパヨンと生えている。誘惑に負けたのではなく、困惑に負けて、僕は半ばゾンビのようにドアを開けてしまった。
「んぉ! こいつは! いい!」
アニメ声、という言葉は本当に便利だと感じた。まさに僕が聞いたのは、アニメ声だった。そして生(なま)の視界に映った彼女は、まさにアニメ画のような整った容姿で、やはり異次元じみていた。
「ねーねぇー。死んでみたくない?」
大きく開いた口には、両側にそれぞれ尖った八重歯があるのを僕は見逃さなかった。僕は玄関前の、「奇妙」が過ぎる光景に気を取られて、彼女の言ったことを聞き逃していた。
「どなたですか?」
「んぇ? あっ! うん。どなただよぉ」
「あぁ……なるほど。……え? どなたって名前なんですか?」
「ねぇそれよりさぁ、死んでみたくない?」
これはヤバい人だ。
なんてことを言うのだ。
見た目で人を判断するなというが、それはどうも嘘らしい。見た目通りのヤバいやつだ。
「……まぁ、死にたくはないですね」
「えぇぇぇえええええ! どうしてどうして⁉」
「どうしても何も……」
「ダメだダメだぁ! とりみだしちゃぁ。わたしったら」
そう言って、彼女は自分に言い聞かすと、一旦大きく息を吐いて、僕をまっすぐ見据えた。
「……あのね、わたしのシジにしたがって死ぬとね、異世界に行けるんだよ! これ今だけなんだよ! お得だよ! 今なら異世界に行けるよ! 行きたいでしょ異世界? それでね、いま、わたし、この世界に来て、勇者になってくれる人をさがしてるの。勇者コーホをね、いまさがしてるんだ。それでね、えーと、あとはね……」
何を言ってるのかさっぱりわからない。
「ちょっと落ち着きましょうか。えーと……。まずあなたは、異世界から来た?」
「うん!」
「それで、その異世界は、勇者を求めてると」
「うん! そうそう!」
「それで、あなたは勇者を捕まえるために、この世界に来たと」
「なんだぁ! ぜんぶわかってるじゃん!」
「そういう設定で家に押しかけて、どういう商売してるんですか」
「んえぇ? ショーバイ? あっ! …………松竹梅の略?」
「なんで松竹梅を知ってて、商売がわからないんだ」
「だってぇ、松竹梅は学校で習ったもん」
「わかったわかった。それで、あなたは僕に何をしてほしいんですか?」
「死んでほしい」
こんな具合だから、僕と彼女の問答は長い間繰り返されたが、僕はこの、違う宇宙に住む猫耳赤髪少女の必死な勧誘に、半分妥協して、「考えておく」という心にもない一言を告げてしまった。それ以来、彼女は、このアパートの一室に、期待を抱いて、ほぼ毎日訪れるようになったのだった。
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