恋人がいる生活

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仕事は月末の繁忙期に突入し、 会社を出た時には22時を回っていた。 地下鉄から降り、家路へと向かう。 人通りの少ない夜道は街灯が少なく静かで 一人で歩くには少し怖い。 だからと言って、走って帰るのも余計に怖い。 ちょっとした物音にも敏感になってしまうので、 帰りが遅い時はスマホにイヤホンを繋いで 音楽を聴きながら帰るようにしていた。 私は、イヤホンから流れてくる音楽に集中した。 今日は特に人通りがない。 若干歩くスピードを早める。 ヒールが地面をこするカッカッという音が イヤホンをしていても聞こえてきて、 自分の発するこの音でさえ恐怖を感じる。 怖い想像をしないように曲に合わせて鼻歌を歌った。 とその時、 背後から誰かにイヤホンを引っ張られた。 「きゃぁあああ!」 人は本当にびっくりした時、 腰が抜けるというけれど、まさにそれだった。 尻餅をついて、立ち上がることも顔を上げることもできず、 震えながらも身を守るように顔の前で腕をクロスした。 「坂下! 俺だよ、俺!」 聞き慣れた声に顔を上げると、 太賀くんの顔があった。 安堵と怒りが同時に込み上げる。 「ちょっと!脅かさないでよ!!」 涙交じりに言って、太賀くんの足を叩く。 「ごめん、ごめん…。ほら、立てるか?」 と言って、太賀くんは押していた自転車を止め、 手を差し伸べてくる。 あまりの恐怖体験に、その手を払いのけてやりたかったが、 一人では立てそうもなかったので 仕方なくその手に支えられて立ち上がった。 「お前…めっちゃ震えてんじゃん。何か、ごめん。」 と、私の両腕を掴んで立たせながら謝る太賀くんを 思い切り睨みつけた。 「何かごめんじゃないよ、心臓止まるかと思ったんだから!」 「本当、ごめん。ただ、こんな夜遅くにイヤホン付けて歩くの危ないぞって言いたかったんだよ。背後に誰かいても気が付かないだろ?」 確かに… おっしゃることはごもっともだけど、 自分の非を認めるのは悔しいから 服についた砂利をほろい、無言で歩き出す。 太賀くんは、 あ、待てと言ってスタンドを蹴り、自転車を押しながら追いかけてくる。 「今まで仕事?」 「そう」 「終わるの遅かったんだな」 「事務だからね、月末月初はどうしても」 太賀くんからかけられる言葉を淡々と返していく。 「俺も最近毎日残業だし、坂下も終わるの遅いなら帰る時間合わせて家まで送るよ」 「そんな…そこまでしなくても大丈夫だよ」 「大丈夫じゃない、心配だから」 太賀くんの真剣な表情に、一瞬立ち止まる。 「…太賀くんも、最近仕事忙しいんだね」 「あぁ…うん。先輩が胃潰瘍で入院しちゃってさ、引き継ぎとか色々大変で、先週末なんか土日返上で働いてたよ」 と、太賀くんは笑って言った。 「そうだったんだ…」 「うん…。だからごめんな、連絡できなくて…って、別に待ってないか」 「待ってたよ!」 思わず大きな声が出た。 「ごめん…怒ってる?」 「いや、怒ってない…。こっちこそ大きい声出してごめん。」 一度取り乱しただけに、 元のテンションに戻すのが難しい。
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