雷おこし

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 年号が昭和から平成に変わった1989年。菅原真澄は地元の海洋高校を卒業、水産学部のある大学に入学するため上京した。  色白で170センチの長身、なまりも初々しい秋田小町はひときわ目を引き、部活動の勧誘はひっきりなしだった。中高ではバレー部で国体にも出ているが体育会は嫌だなと考え、ゆるい雰囲気のサッカー同好会に入った。小学生時代に秋田市のサッカー少年団に入ってたが中学には女子サッカー部がなく自然とやめていた。六年のブランクは心配だったが、他が全員未経験だったのでむしろ教える立場になってしまった。  春雨の中行われた試合のこと。見に来るのは身内でなければよほどの好き者である、だから普段見ない顔いや傘があると嫌でも気になった。  ピンク色の星やハートをふんだんに散りばめた傘を左手に、プラスチックのフォークを右手にしたバーコード頭の男性。傘と顔、そしてひざの上に乗せたケーキのギャップたるや。 「ティラミス食わねえか」  試合後、コーヒーの粉末をかけたもろもろのチーズケーキを手渡された。 「Tiramisu、イタリア語で私を上に引っ張ってって意味のドルチェだよ。滋養強壮の効果もあって、女が男にオッケーするって意味もある」  知識を披露するつもりがセクハラまがいの発言をしてる己を恥じるようにせきばらいすると、眼鏡についたしずくを指で払う。 「そのヘディングで、俺のチームを高みに連れてってくれ」  それが葛飾クラブのオーナー、佐藤好太郎。この年の九月に発足する日本女子サッカーリーグを控え、目玉となる選手を自分の足で探していた。糖尿病の改善も兼ねて。
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