願い事は何?

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願い事は何?

8月下旬に行われる町の夏祭りが終わり、あっという間に夏休みが終わった。秋だなんて思えない暑さが続き、やっと日が落ちる早さを実感するようになったころ、穂香と太陽は公園で二人歩いていた。 太陽は穂香と一緒にキッチンカーまで手を引いて行くと、ピザと飲み物を購入して手渡した。ピザは注文してから焼いたため、多少時間がかかったが熱々のチーズを口に入れるとほっぺたが落ちそうに美味しかった。 「おいしい!」 口の周りについたケチャップを急いでぬぐって、瞳を輝かせる穂香に太陽が得意そうな顔をする。 「だろ?偶然見つけてさ、穂香にも食べてもらいたかったんだ」 ピザのトッピングはシンプルだ。トマトとピーマンたっぷりのチーズにベーコンがのってる。他にもハワイアンピザがあったから、今度また食べてみようと穂香は心の中で固く誓った。 「だいぶん、元通りになったね」 「まだ、リハビリ通ってるけどな」 軽くびっこをひく左足を見て太陽が苦笑いする。退院してから学校の宿題やプリント、補講を受けて授業の遅れを取り戻そうと必死だった。事故に遭ったのが梅雨入り前、期末試験も受けていないため教師からあれやこれやと課題を出されていた。 「まあ、元に戻れて良かったよ」 太陽がどこか遠くを見るように公園の木々を眺める。太陽は意識不明の間、この公園にいたのだ。 「何で、すぐに自分の体に戻らなかったの?」 「俺にもわかんねー」 「幽霊になったのかと思った」 ぽつんと呟く穂香の瞳が揺らぐ。雨の降る日々を思い出して、頭をふるふると振った。もしかしたら一生、意識が戻らないままかもしれないとい聞いた時のショックは忘れられなかった。真っ暗な穴の底に突き落とされたようだった。 「不思議なんだけどさ、俺のこと見えたのは穂香だけだったんだよ」 「おばさんや、他の人の所にも行ったの?」 「なんつーか、気づいたらここにいて、穂香と会って話してた。それまでは眠ってるみたいな。何の意識もなくて、水の底からふわーって浮き上がる感じかな。あ、穂香が来たって思ったら、自分がぽんっとこの世界に飛び出した感じ」 「なにそれ、さっぱりわからない」 「だよな。正直、何で体に戻れたのかわからないんだよ」 「戻ろうと思ったわけじゃないの?」 「うん。なんか、いかなきゃって。どこにいくのか、自分でもさっぱりわからなかったんだけど」 穂香は最後のピザのひとかけらを食べてしまうと、白い紙ナプキンで丁寧に指を拭いた。なんとも頼りない太陽の言葉に、穂香は今さらながら怖くなった。 「私は、太陽がいかなきゃって言った時、死ぬんだと思ったよ」 その時はまだ太陽の体は生きていた。このまま治療を続けるか、脳死と判断するか医師も家族も決めかねていたのだ。しんとした静けさが降り立って、穂香は気まずくなった。その場の空気から逃れるように、ストローに口をつける。オレンジジュースの甘みが口の中に広がった。 「短冊、何て書いたの?」 太陽の突然の質問に穂香はむせた。げほごほとせき込む穂香の背を太陽がごめんと慌ててさする。涙目になりながら太陽を睨みつける穂香に、もう一度同じ言葉を繰り返した。 「短冊に、何て書いたの?」 「忘れたわよ」 「もしかしたら、その短冊のおかげじゃないかって思うんだよな」 「なんで」 「教えろよ。何て書いたの?」 「教えなーい」 穂香は人差し指を目の下にあてて引っ張る。ついでに大きく舌を出した。太陽は飲み終わった紙コップをぐしゃりと片手でつぶし、からかうような調子で笑った。 「何?もしかして恥ずかしいこと?」 「ちっがーう」 「じゃあ、教えてくれても良いじゃん」 太陽の目が真面目になったので、穂香はさっと距離をとった。 「散々、人を心配させた罰です。ぜーったい教えない」 穂香はさっと太陽から身を翻す。ゴミ箱まで走って行くと、ぽいっとゴミを捨てて微笑んだ。 「もっと大人になったら教えるね」 「なんだそりゃ」 穂香につられるように笑って、太陽もゴミ箱にゴミを投げ入れる。どちらからともなく手をつないで二人で公園の中をゆっくり歩いた。落葉樹の葉が早くも秋の色に染まりかけている。もう少ししたら秋祭りの準備が始まるだろうなと穂香は思いながら胸の中で呟いた。あの日短冊に書いた願い事を。       「連理の枝のように太陽といつまでも一緒にいられますように」 もう離したくないとばかりに、穂香は太陽の手をぎゅっと握った。
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