3 前兆

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3 前兆

「生誕28周年おめでとう、太地」 「輝、その仰々しい言い方やめろ、どこの教祖様だよ俺」 太地は輝の頭をワシワシと揺すった。その手をひょいと公太がつかむ。 「ストップ、兄貴、せっかくこの僕が四年かけて輝の能天気な頭に詰め込んだ金の知識がこぼれ落ちてしまう。人の脳はデリケートなんだぞ」 「お?おお」 慌てて手を引っ込める太地。 香弥子がワインの入ったグラスを優雅に傾けながら頷いた。 「この鳥頭にちゃんと理系大学を卒業できるだけの知識を詰め込んだ貴方は凄いわ、公太くん」 公太はニヤッと笑うと、甘えた声を出して香弥子の空いている手を握り勝手に握手する。 「香弥子さーん、いやー大変だったよ、やる気だけはあるから詰め込んでやったけど、一回じゃ詰め込んでもすぐ忘れるんだもんな」 香弥子は握手された手をスルリと抜いて、公太の頭を撫でた。ペットを撫でるように。公太は嬉しそうだ。輝はこの二人の関係は良くわからないなあと感心した。時々、二人だけで食事をしたり出掛けたりしているらしいが、お互いに友達以上だとは絶対認めない。 「ノート一週間ぶんの講義記録を暗記しろだの、組成式を暗記しろだの、君の天才的頭脳と違って私は普通の人なの、一度目を通しただけで記憶出来ませーん、超スパルタよね、公太は。お陰で大学卒業できたけど」 公太が威張る。 「そうだぞ、大いに感謝して」 輝も公太の頭を撫でた。公太はニコニコする。今度は香弥子と太地が、凸凹コンビだなあと微笑ましく感心した。 「感謝感謝。これからも、タコの唐揚を研究室に差し入れるね。ノーベル賞とったら、忘れずにスピーチにタコの唐揚のお陰って入れてよね」 タコの唐揚は、輝の作る料理で公太の一番の好物だ。 輝が撫で終わると、今度は太地が大きな手をぬうと伸ばした。 「待った待った!野郎に撫でられても嬉しくない!」 「何だよ労ってやろうと思ったのに」 「頭揺すらないでくれって!僕のプラチナの知識が飛ぶ!」 「えー、私に詰め込んだのは金で公太はプラチナ?なにそれ」 「オリジナルは格上なんだ、兄貴やめて!」 久しぶりに気のおけない仲間四人、顔が揃った。 輝と香弥子と太地は幼稚園時代からの幼なじみだ。太地は輝や香弥子より一つ学年が上だか、家族同士で仲がよく、中学までずっと同じ学校に通っていた。 公太は、輝がモデルの仕事をこなしながら通っていた大学の理系学部で出来た友達で、輝が仕事との兼ね合いから留年してもう一度一年生だった時のクラスメイトなので輝より一つ年下だ。輝と付き合う内にいつの間にか幼馴染たちとも打ち解けた。 香弥子は父の君臨する企業グループ系列の商社に勤め、将来他の兄妹たちと父の跡を継ぐために、一から仕事を学び、いまは若くして企画室の部長だ。 三か国語を操る才女で、すらりと背の高いプロポーション、美しい容姿から一時期は輝が所属しているモデル事務所にも在籍していたが、学生を卒業すると同時にカメラの前でいろんな要望に応えるのが嫌でやめてしまった。 とても裕福な家庭で育ち、価値観のズレから時々素でマリー・アントワネット発言をする。 太地は、努力して警察官から警視庁の刑事課に昇進し、持ち前の勘の良さと大柄ながら身軽な身体能力でいくつか手柄を挙げ、年上の同僚たちからも一目置かれている。 輝と余りに仲が良いので、時々大衆誌に恋人なのでは?と取沙汰されたりしているが、芸能人の気苦労や有名税の怖さも理解してくれる頼もしい兄貴分だ。 因みに芸能人である輝のマンションの部屋の防犯システムを一手に監修している。 公太は、大学在籍当時から、異能、天才とささやかれていた。輝に興味をもったのも、最初は「ラッキーガール」の異名を持つ輝を科学的に解明してみたいと思ったからだそうだ。探究心の塊で、ややワーカーホリック。今は大学院に残り、医療系企業複社が共同出資する幹細胞と寿命に関する研究プロジェクトに携わっている。 一番年下だか、気は強く、どんな地位の人間とも必要なら対等に論戦を交わす。 輝は、公太はいつか必ずノーベル賞をとると信じきっていた。 今夜は、この頃お互いに仕事が忙しくなかなか揃って会えなかった四人が、兄貴分の太地の28歳の誕生日にかこつけてスケジュールを擦り合わせ、久しぶりに集まったのだった。 場所は格式あるイタリアンレストラン。全員それなりに正装して集まってみた。 集まってみると、輝はあまり目立たないように一見「正装したOL」のような出で立ちだし、香弥子は艶やかな和服で現れ美女オーラ全開で人目を引き、太地はがっしりした体に選らんだ明るい色のスーツが似合いすぎてマフィアみたいだったし、公太はイタリアを意識しすぎて服飾関係の怪しい業界人風に見えた。 集まったとたん互いになんだこれ!と大笑いした。 夜の集いだか、移動手段が常に運転手付きの車の香弥子以外は、皆アルコール抜きだ。輝も太地も公太も、自分の車を運転してやって来た。 最近では、アルコールが含まれていないワイン風の飲み物もあり、特に公太は不満たらたらだったが、太地がいる手前我慢した。さっきから、羨ましそうに香弥子が赤ワインに口をつけるのを眺めている。 不意に香弥子が、公太に向かって顔をしかめた。 「公太くん、そんなに飲みたいならワイン飲めば?運転代行を呼べば良いじゃない」 「呼んだら負けな気がするんだよ」 「公太、飲みたかったのか。俺のつてのただで動いてくれそうな奴呼ぼうか?」 太地がスマホを取り出そうとすると、公太は頭を掻いた。 「いや、うん、愛車を他人に運転させるのって嫌じゃないか?」 「わかるなあ。私も自分の車のハンドルは他人にさわられたくない」 輝が頷くと公太はハイタッチしてきた。 輝は知っている。公太は自分の愛車を密かにマイカスタムしているのだ。映画「TAXI」に憧れて。アレほど過激ではないが。何度か助手席に乗せてもらったときに、太地には絶対内緒の約束で見せてくれた。面白かった。 「分からないわ、自分の車ってそんなに可愛いものなの?」 香弥子がキョトンと聞いてくる。 輝たちはうんうん、と頷いた。 「可愛いよぉー、だって行き先運転手さんにいちいち言わなくても、アクセルとハンドルで好きなところに行けるのよ?内装だって好きなように揃えられるし」 「いや、輝の車はやりすぎだろう、俺たち男が気軽にのせてくれとか貸してくれとか、口が裂けても言えないぞ。全くそこら辺想定外だろお前。ど花柄シートに窓にはレースカーテン、後部座席に訳わからない色のファークッション、うううー恐ろしい」 太地が笑いながら震えるそぶりをする。 「普段はヨーヨーの運転する仕事用で動くから関係ないですよ。私のかわいこちゃんに乗りたくないなら、あっちに乗れば良いよ」 ヨーヨーとは、輝の事務所が輝に付けた敏腕マネージャーだ。中華系アメリカ人で本名はニコル・ヨー。語学堪能、仕事は迅速、とても有能なのに、ラッキーガール輝を女神のように崇めているやや変わった人物だ。 あれにヨーヨー以外の男性が乗ったら、速攻芸能レポーターが群がってしまうだろう、輝以外の面々は苦笑いした。実際にそういう事件は何度か起こっている。 「そういや、さっきちらっと見たけど、僕がせっかく連れていってあげたゲームセンターで香弥子さんの捕った初獲物、なんで輝の車にぶら下がってるんだ?」 公太が不思議そうに聞いてきた。 輝の車のバックミラーには今、白いとぼけた顔をした犬のマスコットがぶら下がっている。 マスコットはお腹にチャックがついていて小物が入れられる。そこに、璃松太師から書いてもらったお札をいれて、輝のプライベート車のバックミラーから吊るすことにしたのは香弥子のアイデアだ。 「ん?それ、「香弥子級の秘密」に抵触するけど、聞きたいの?」 輝は公太に、撮影用の良い笑顔を向けて殊更優しく尋ねた。 太地と公太の顔がひきつる。 「や、辞めとくよ…」 輝が親友の香弥子にしか話さない事はたくさんある。輝の恋愛関連の話だけでなく、他にも同性でなければ解らないことや、人気芸能人として、太地や公太に話すと心配されそうな事も色々。それを輝は「香弥子級の秘密」と呼んでいる。 かなり前、学生時代にこうして集まったとき、太地と公太がとても知りたがったので、酔った勢いで、一番軽い秘密を話した。 女性が毎月来る生理現象のときに、自分達がどんな状態になってどんな奇行に走るか、の話だ。 二人は震え上がり、二度と「香弥子級の秘密」に触れなくなった。 「と、ところで、香弥子、ゲームセンターなんて行ったんだ?公太と?面白かったか?」 太地が話の矛先を変えようと突っ込むと、香弥子はニコニコと話し始めた。 「この前、近くにいたから二人でランチ食べてたの。話してる内に、私かゲーセンてなに?って聞いたら、公太くん驚いて」 「いやだって、香弥子さんゲームセンターの存在知らなかったんだよ?どこの星で暮らしてたんだよと思ったよ。人生損しない内にって連れてったら香弥子さんクレーンゲームに熱中して、あの犬捕るのに三千円もつぎ込んだんだぜ?で、何て言ったと思う?」 公太が熱く尋ねる。 「香弥ちゃん、何て言ったの?」 「ええ?だって、楽しくゲームして賞品まで貰えて、三千円ってお得でしょ?ゲームセンターって楽しいところね、切手見たいな自分の顔のシールも作れるし」 香弥子がさらりと普通にそう答えるので、輝と太地は笑いで身悶えした。 さらに公太が追い討ちをかける。 「香弥子さん、プリクラで一緒に写ろうとしたら、僕は外で写真を受けとれって、追い出したんだぜ。他に誰が写真を受けとるんだ?ってさあ」 「もしかしてあれは一緒に写って楽しむものだったの?」 香弥子がキョトン?と聞く。 輝たち三人はうんうん、と頷いた。 「ほら、こんな感じだ」 太地が、手帳の内表紙に貼ってある輝と一緒に撮ったプリクラを見せた。 二人ともやたら目が大きく、顔が小さく撮れている。へええ、と香弥子は感心して眺めた。それから、おや?というように太地を見る。 「太地、こんな写真持ち歩いてたら、また週刊誌に輝の恋人疑惑で書かれるわよ?何してるの貴方」 「そりゃ、虫除けの逆バージョンだよな?兄貴」 公太が太地にウインクする。 「うん…前に補導した女子高生たちが、なついてきてちょっとな。輝と知り合いだって話したら諦めてくれた」 太地が少し罰が悪そうに答えた時、ウエイトレスが三人、店のロゴの形のロウソクが刺さったケーキをもって現れた。 「お客様のお誕生日を記念して、当店からのサービスでございます」 「生誕28周年おめでとう!太地!」 「だからその仰々しい祝いかたやめろ」 文句を言いながらケーキを受けとる太地に、輝たちは力一杯拍手した。 「はい、これプレゼント」 輝が太地に渡したのは、輝が最近イメージモデルを勤めたイタリアの高級ランジェリーメーカーの男性用下着だった。ベッドで男性を最高にセクシーに見せる、が謳い文句。凄かった。 箱を開けて中身を取り出しかけ、太地はギョッとして箱の蓋を素早く閉じた。 「あのなあ、輝、こういうのは付き合って長い彼氏とか、そういう奴に送れよ」 「勝負下着って、女性から贈られると幸運を招くのよ。頑張ってね太地」 「どこの国の格言だそれ。公太、こいつに更なる金の知識を詰め込んでやれ、ギュギュっと隙間なくな!仕事で海外に行くたびに変な知識ばかり拾ってきて。おばさんもおじさんも泣くぞ」 「私はこれ。新発売で女性に一番人気の香りなの。男を上げてね、太地」 香弥子のプレゼントはそんなに大きくない箱だったが、太地は中味を出すと眉毛をハの字にして香弥子を見つめた。 「あのなあ、刑事が仕事中に香水ヘロヘロ香らせてたら、捕まえられる奴もすぐ感づいて逃げ出すぞ、怪しむぞ?バカにされるぞ?」 「仕事中につけなければ良いじゃない。刑事になってから貫禄は出てきたけれど、忙しくて女っ気もなくなっちゃったでしょ?こういうのは普段からつけなれていないと様にならないの、暫くは寝る前にでも使ってね?」 とても綺麗な笑顔で香弥子が微笑んだので、太地は青ざめて香水瓶を箱にしまった。 「公太、せめてお前だけは、普段役に立つものくれるよな?」 「任せろ兄貴」 公太が出してきたのは、簡単にラッピングされた五本のアンプルだった。中にはなんとも言えない色をした液体が入っている。ラベルが貼ってあった。「雷轟爆魂2100 vol.3」筆がきロゴでプリントされてある。 「最新技術をてんこ盛りで開発したんだぜ、僕が試作品を飲んだ時は三日間眠らずに仕事に没頭できた」 「……お前これ、刑事の俺に正々堂々渡せるものか?おい?違法なもんは本当に入ってないのか?」 うんうんと得意そうに頷く公太。 「製薬会社から出向してるそういう事に精通してる奴と共同開発したからな、オーガニックかつ合法ライン目一杯まで極めてる。ここ一番ってときに使ってくれ」 「お前も今ここで一本飲め!」 「えー?!全部兄貴のだ、もったいなさすぎて僕は飲めないよ」 公太は本気で首を振っている。太地は胡散臭そうにアンプルを眺め、ため息をついた。 「ほらほら、太地、そんな顔しないで。素直に喜びなよ、私たち、それなりに考えて愛を込めてプレゼントを選んだんだよ?嬉しくない訳じゃないでしょ?」 太地の顔を覗き込んで、輝がそう言うと、太地の耳がカーッと赤くなった。 「嬉しくないわけじゃないぞ」 ボソッと太地。 「わかってるよ。でも、喜んでくれるともっと嬉しい、ね?」 突然太地が立ち上がった。 「トイレ、行ってくる」 一瞬、皆見えた。鬼の目に涙だ。輝たちはうんうん、と頷いた。 本当はまだまだ話したりなかったが、輝が気づかれてしまった。周りの客たちの視線がチラチラとこちらを向き始め、スマホをこっそりだして輝の写真を撮る客に気づいた太地が帰ろうか、と目で合図した。 輝には日常茶飯事だが、一般人の他の皆は違う。香弥子が立ち上がり、オーラ全開で人目を引いて会計をしている間に、太地と公太が輝を店の外に連れ出した。 「はー、楽しかったー」 輝は背伸びして太地と公太の首を抱えて抱き締めた。 「全員集まるのは久しぶりだったなあ」 公太が頷く。 「ありがとな、皆」 大柄な体を窮屈そうに屈めて太地が照れ臭そうに呟いた。 名残惜しく腕を解いて、輝はにっこり笑った。 「じゃあ私、先に行くね」 「輝!」 太地が車のドアを開けて乗り込む輝を呼び止めた。 「もう遅いから気をつけて帰れよ」 輝はポンポンと太地の背中を叩いた。 「大丈夫。私だもん」 「あのなあ、だから心配なんじゃないか。お前は楽天的で直ぐなんでも良い方に考えすぎて、時々見ていてはらはらする。人生は何があるか誰にもわからないんだぞ、本当に気をつけて帰れよ」 くすくす、輝は笑った。 「太地こそ、刑事の仕事で嫌なこと見すぎ。時々優しすぎて向いてないんじゃないか心配。他にも仕事はたくさんあるんだから、無理しないでね、じゃあ、また!気をつけて帰りまーす」 パタン。ドアが閉まる。 輝が遠ざかるのを見送っていると、公太がそっと太地の脇腹をつついた。 「家までおくってけば?」 「それすると多分、永久に「良い友達」にしかなれない。やめておく」 「チキショー、兄貴見ててイライラする。あんなプリクラ見せびらかすとか、ないわー。幼馴染みに惚れるって、色々知りすぎててしんどいもんなんだな、縁が切れないし玉砕も出来ない」 「お前だって、あいつと未だにつるんでるじゃないか。ほっとけ」 公太はふうと息を吐いた。 「僕はちゃんとさっさと玉砕したぞ。ワケわからないうちにだけどさ。そのあとで気がついて凹んだけどな。こっちか男を見せたから退かれたのかって。自分の観察眼の鋭さを呪ったさ。あんな分かりにくい男性恐怖症って珍しいよな」 後ろで話を聞いた香弥子は、気の毒に…と心から思った。 太地が、子供のときから輝が好きなのは何となく解っていた。間近で輝が自分に思いを寄せている男性をどう扱うかずっと見ていた太地は、輝に安心感を与える立場を選んだ。いつか、もしかしたら完全に信頼してくれて、受け入れられるかもしれないと考えたらしい。 公太は、もっと複雑だ。 実を言うと、大学に入って直ぐ、輝もクラスメイトだと知り、仕事が忙しすぎて留年したと聞いて行動に出たものの、輝は公太を「とても良い友達」にしてしまった。その事では、香弥子は公太と輝、両方を慰めることになった。輝も、真っ直ぐ好意を向けてきた公太に応えられないことで、一時期食欲をなくしてふらふらになるほど自分を責めた。仕事も差し支えが出るほど痩せてしまい、夏休みの間、香弥子はハワイの別荘に拉致し勉強も仕事も遮断して過ごさせて、やっといつもの輝に戻した。 一方でメールでやり取りをして励ました公太も、なんとか立ち直り、輝の本気で理系学科を学ぼうとする決意を認めて下心無しで手を貸すようになった。今では、「人として好きだ」と言っているが、実は香弥子と二人でいると、輝のことで話が弾むことが多い。 二人とも、ちょっと違うの、輝はね…。これは輝との秘密だから言えないが、多分話してもわかってもらえないだろうと香弥子は思っている。 だから、見てみぬ振りが情。 「なあに?ないしょ話?」 香弥子が声をかけると、太地と公太は振り返り、すこし照れたようすでモゾモゾと近寄ってきた。 「輝は帰った?」 「楽しかったってさ」 「ニコニコしてたよ」 「ね、無理してよかったでしょ?」 今回集まろうと言い出したのは、香弥子だった。 二人には、「色々「香弥子級」なことがあって輝がとても落ち込んでいる」とだけ伝えた。 璃松太師と会ってからは、大分スッキリした様子は見せたが、同時に何かを諦めたような寂しそうな様子も見えた。 今は、映画という新しいチャレンジの真っ最中、慣れない映像のなかの演技でくたくたなのに、もうすぐ海外へアクションシーンのロケに出かけるという。 皆心配した。 「結局、私たち皆、輝が輝でいてくれるのが一番嬉しいのよね」 「そうだな、あのままの輝でいてくれるのが一番だな」 「右に同じ」 「さて、殿方たち。私のお迎えが来るまで、まだ帰らないわよね?」 「当たり前だろ、香弥子お嬢様をこんなところに残して消えたら、会長閣下に殺される」 「僕の研究室もきっと手を回されて資金がもらえなくなる」 香弥子は笑った。 「ありがとう。良い子ね二人とも。お礼にあそこの喫茶店でコーヒーをご馳走するわ」 公太がえええ?と声をあげた。 「そんなに遅くなるの?もう日が変わるぞ?」 「参ったな、笹塚さんどこかで詰まってるのか」 頭をかきかき太地がスマホを取り出して調べだす。 二人の腕に香弥子は手をかけた 「ううん、もう少し二人と話したいだけ、ダメ?」 太地と公太は、笑ってうんうん、と頷いた。 もう深夜なので道はがらんと空いていた。輝は鼻唄混じりに車を走らせた。 今日は楽しかったな、明日は久し振りのオフだし、言うことなし。そういえば最近新しい道が開通したよね、近道だしそっちを通ろうかな。ハンドルをきって、方向を変える。が、すこしすると軽い胸騒ぎがした。余りこっちにはいきたくない。でもな、もう夜遅いからな…今から遠回りするのもな… 気がつかなかった。 いつも直感に信頼を置いているのに、輝は無意識に胸騒ぎを無視していた。 いつもはしないことをしていた。 迷っている内に、新しく開通した道に出た。 交差点に来ると、信号が黄色に変わった。輝は用心して停止線で車を止め、慎重に辺りを見回した。他に走っている車は見えない。 視界もよく、エンジンの調子もよく、気をつけて運転すれば大丈夫そうだ。 念のため、バックミラーも覗いた。 何も見えない。街灯の明かりだけ。 あれ? ポロリ、とぶら下げていた香弥子からもらった犬のマスコットが落ちてきた。そのままダッシュボードの下に転がっていく。真っ白い犬のマスコットを踏みつけることは、璃松太師のお札を踏みつけること。 そんなの駄目だ! 慌てて屈んで、マスコットを探して足元を手探りした。どこにもない。 「どこ?どこ?!」 必死にあちこちに手を伸ばしていると、やっとマスコットの紐に手が触れた。輪の部分が切れているようだ。しっかり握る。 はっとして体を起こしたとき、輝の車は何故か交差点の真ん中にいて、片側からヘットライトにかっと照らされていた。 目が眩んで驚いていると、ガーン!と言う大きな音がして、凄まじい衝撃に成す術もなく輝は掴み取られ、投げ出されて、叩きつけられた。 意識が飛んだ。
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