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4 奇跡
「何でこんな真夜中に運ばせるんだよ?気味悪いぜ、遺体の入った棺なんてよ」
運送会社のドライバーは、ぶつぶつと文句を言い通しだ。
助手席のもう一人が、止せよ、と小声で止める。
「祟られるぞ、四の五の言うな」
「棺ん中は、本当にミイラか?実は生の死体とか…」
「ごちゃごちゃ考えるな。言われた仕事をやっとけばいいんだよ」
もうすぐで最近出来たばかりの道路に入る。
搬入先の大学院まで、その道を通れば一番早い。出来るだけ後ろの荷物をさっさと届けたかった。他に車はない。自然に車を走らせるスピードが早くなる。
経験から、深夜に運ぶ荷物は余り深く考えずに淡々と運んで、淡々と搬入するに限ると解っていた。
だか、荷物は中国の博物館で展示されていたという百年前のミイラ、それも酷くきれいなまま保存されているミイラだという。
ご丁寧に棺の中に収まり、霊柩車と同じ造りのこの車の、自分達のすぐ後ろに安置されている。
何でも、向こうの博物館と提携している日本の博物館が、「日中友好記念 中国の百年展」という企画のため他の展示物と共に借り受けてきたんだとか。
ミイラは百年展の開催される前に大学院の研究室に運んで、何故こんなに保存状態か良いのか調べるんだそうだ。
ドライバーは、気になって仕方ないらしく、何度も後ろを振り返った。
「なあ、お前、感じねえか?」
「何を?」
「何かよ、俺、ご遺体さん積んでからずっと、死んだ人間を運んでる気かしないんだよな、まるで生きてる人間が後ろに居るような気がして…」
「よせよ、何ビビってんだお前。おい、ちゃんと前見て運転しろよ、いくら道路が空いてるからって」
道は交差点に差し掛かろうとしている。
運転手はちらっと前を見た。
信号が赤から青に変わるのが見えた。
「だ、駄目だ、どうしても俺、ご遺体さんが死んでる気がしねぇ、交差点過ぎたら運転変わってくれよ。手が震えてきて」
「おい、前!!車だ!!」
「え?!」
運転手がブレーキを力一杯踏みつけたが、遅かった。
ガーン!と言う音が轟き凄まじい衝撃を受けた。
瞬く間に遠退いていく意識の中で、ドライバーが最後に想ったのは。
何故あんなところに車が?
気がつくと、地面に倒れていた。
息がうまくできない。
必死で体を動かそうとしたが全く力が入らず指一本動かない。
その代わり全身に信じられないほどの激痛が押し寄せてきた。
悲鳴をあげようとしたが、声が出なかった。
細く弱く息を吐いただけ。
私、死ぬ?
今ここで?
無性にただただ怖くなった。
このまま死ぬの?ファーストキスも知らないまま?前世の約束の人にも、会えないまま?映画の撮影も途中のまま?誰にもお別れが言えないまま?
体から、自分の意識がふわふわと離れていく感じがする、気を失うのとも違う感覚だ。
生きようと頑張る気力が欠片も湧いてこない。
ああ、私、本当に死んじゃうんだ、もう、全部終わってしまうんだ…
不意に、意識の中にポツン、ポツンと波紋が広がった。
水琴窟。言葉か浮かんだ。
水琴窟のそばで、のんびり、丸い清涼な音を聞いているような感じだ。
波紋が広がる度に、心が静かになっていく。とてもとても、穏やかな、安らかで優しくて心地よい気分に包まれていく。
誰か近寄ってくる気配がした。足音がする。ほら、すぐそばに来た。
そうか、この人が来たからこんなに穏やかな気持ちになったんだ、そう、直感で判った。
恐怖を忘れた。
激痛を忘れた。
その人が壊れ物を扱うように、抱き起こしてくれた。一番安全な護られた場所に居るような気がした。
この誰かは自分をあの世に迎えにきたんだと思った。どんな人だろう?
輝は意志を振り絞り目を開けた。
とても綺麗な男性だった。
何て綺麗な人なんだろう。
天使かな?
それとも死神かな?
目が合った。
輝は、この綺麗な人は全身全霊で信頼して大丈夫な人だと判った。
嬉しいな、こんな人が迎えに来てくれたんだ。
この人と一緒なら、何処へでも行くよ。
よかっ…た。
もう何も心配しなくていいや…
次に目を覚ましたとき、輝の目に入ったのは、白いなんの変哲もない天井と、事務的なデザインの照明器具だった。
思った。
あの世ってショボっ!
しかも、自分がベッドに寝かされているのに気がついた。パリッとした地味な真っ白いカバーの布団。頭に馴染まない枕。横に目をやると、点滴のパックがぶら下がり、チューブは自分の腕に繋がれている。
やたら現実的だな、あの世でも事故にあうとこんな風に病院みたいなところで処置を受けるのか?な、なんか、物凄く拍子抜けしちゃうな。
「輝っ!」
ひょい、と母の顔が現れた。輝は驚いた。何故お母さんがここにいる?
「目を覚ました!」
お父さんまで。何で???
「輝サン、よ、良かった」
ヨーヨーまで出てきた?!えええ?どう言うこと??
皆、酷く憔悴した顔をしていた。母とヨーヨーはボロボロ泣いている。
「あなた、早くナースコールして!」
「え?え?どれだっけボタン?」
「これよ!」
母は自分でナースコールボタンを手に取ると、早く早く!と父に急かしている。
「そ、それくれないと押せないよ」
「え?!あらほんと!はい!」
父はボタンを受け取ると、力一杯押した。
女性の看護師さんがどうしました?と入ってきて、輝の様子を見ると先生を呼んできますね!と慌てて出ていった。
母が輝の手を握りながらしきりに、良かった、良かったと呟いている。
父が輝の顔を覗き込んで聞いてきた。
「輝、分かるか?お父さんが分かるか?」
ベッドの足元では、ヨーヨーが泣きながらスマホを取り出して早口のフランス語で捲し立て始める。輝の所属する事務所のパリ本部に直接連絡しているらしい。
輝は、父に聞いた。
「あのう、お父さん、私、生きてるの?」
うんうん、と父が頷く。
輝は病室の中を見回した。
「あの人は?」
「ん?」
「私が事故に遭ったとき側にだれか居なかった?」
一瞬だけ両親とヨーヨーの顔がひきつったようにみえたけれど、見間違えだろうか?
「冷凍食品のトラックの運転手さんだろ。救急車を呼んでくれたのその人だ」
あとでお礼をしに行かないとな、と父が母に言うと母が年配の人だから虎やの羊羮かしらねえ、と考え込み始めた。
トラックのドライバーさん?年配?輝は首をかしげた。
そんな感じには見えなかったけれど…死にかけていたから、あんな風に見えただけ?
えええ?えええ…
医師が看護師を数人連れてやって来て、瞳孔検査をしたり血圧や体温を測りながら、輝に色々質問をしてくる。
どこか痛みはない?手足に痺れはない?頭痛はする?吐き気は?
輝が全部無い、と答えると、医師は信じられないものを見るように輝を眺めた。
「君ね、事故に遭ったんだよ?覚えてる?」
「はい…覚えてます、死ぬかと思いました」
「僕もこんなケース初めてなんだよね、いや、もう、奇跡としか言いようがない」
医師は、大きく息を吐くと、思いきった様子で、こう言った。
「君はほぼ無傷だったんだよ」
「え?」
「一番深刻だった脊髄や内臓のダメージもね、この病院に来て三日目には完全回復したんだ。今日は入院して四日目なんだよ」
「えええ?」
医師は驚いて念のため輝の血液検査をしたが、得にこれといった特異な点は見当たらなかったそうだ。赤血球がやたら活発だったくらいで。
「噂は聴いていたけれど、輝さん、君はまさに正真正銘ラッキーガールだねぇ、そうとしか言い様かない。全く奇跡だ」
念のために、あと二週間ほど入院するように、時間をかけて後遺症が出ないか精密に検査をするからと言われた。
輝が眠っていた間付きっきりで側にいた両親とヨーヨーは、それを聞くと入院に必要なものをとって来る、と輝のマンションに向かった。
輝は考え込んだ。
あの時、自分は確かに死にかけていたはずだ、何で無傷?
あの綺麗な男の人は、実は年配のトラックのドライバーさんだったの???
いや、ちがう。
輝には確かに、確かにあの綺麗な人を見た確信がある。
やっぱりあれは天使か死神だったのかな、きっと他の人には見えなくて…
そうか、迎えに来たんじゃなかったのかも。
助けに来てくれたのかも。
じゃあ死神ではないよね、天使だったのか。
「凄い、奇跡を体験してしまった…」
輝は暫く呆然と感動に浸った。
もう、会えないのかな。
また、会いたいな。
最初は恐る恐る、自分の体を動かしてみた。手の指、足の指、腕、腿。
ベッドの上で体を起こし、足をずらして床に着け立ち上がってみる。
思いきって跳ねたり踊ったり、ヨガの難しいポーズもいくつか試してみた。楽々と出来る。まるで、身体が丸ごと全部新しくなったみたいに、力が漲って気分爽快だ。
備え付けの大きな鏡の前で裸になって全身を調べると、肌の調子が人生で一番すべすべ艶々なように見える以外、傷ひとつ無い。
「よかったあ!仕事、続けられる!天使さんありがとう!」
輝は小躍りした。
やっと、生きている実感がわいてきた。
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