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魔法学園の荘厳な建物を、中庭から見上げる者が一人。
ジョシュアは一つに結んだ長い黒髪を靡かせ、忌々しげに学園の時計塔を見上げていた。
ごてごての宝石で飾られ、寄贈してきた大御所貴族の名前が堂々と文字盤に掘られたそれ。ルナシルドの神は、別名“光の女神”と呼ばれているのだという。長い金髪の、この世の何よりも美しい神様なのだそうだ。その女神の慈愛の言葉が、からくり時計の下には刻まれている。
『正しく愛を信じる者に、全ての未来は平等に開かれています。
もしもあなたが今不幸なのだとすれば、それはあなたの正しい努力が足りないせいだと知りなさい。』
「クソくらえだ」
ジョシュアは忌々しさを隠しもせずに、呟く。
「クソったれが。何が平等だ。何が正しい愛だ」
この国を守る女神様とやらが、ジョシュアは昔から嫌いで仕方なかった。階級制度を作り、人が人を差別するのが当たり前のこの世の中で何が平等だというのだろう。
全ての未来が開かれているというのなら、何故自分の母にも自分にも生まれついて戸籍がなかったのか。母は戸籍がないだけではなく、そもそも“戸籍を登録する届けを出さなければならない”ということさえ知らない人だった。第一彼女は文字が書けない。誰にも教えて貰ったことがないという。そんな彼女に、子供の出生届をまともに書け、というのが土台無理な話なのである。
ジョシュアのことを、愛していなかったわけではないのだろう。ただ、誰の子供かわからないとも言っていた。
彼女は娼婦だった。やることをやれば子供ができる、できた子供には親として責任を取らなければならない――という常識さえ誰にも教わらないで生きてきたという。
自分と瓜二つの見た目をした、黒髪黒目の女。
ジョシュアが産まれた時にはそれなりの年齢だった彼女は、どこから病気を貰ってあっけなく死んだ。ジョシュアにとって幸運だったのは、彼女が病にかかったのが自分が産まれて乳飲み子を卒業した後であったということだろうか。それとも、そうやって生き延びてしまったことはむしろ不幸なことであったか。
いずれにせよジョシュアは天涯孤独になり――あれほど毛嫌いしていた、母と同じ生き方を強いられることになった。なまじ見目だけは整っていたがために、ジョシュアに魅入られるそれなりの金持ちというのが少なくなかったのである。それこそ、男も女も関係なく。
――本当の意味で、俺を助けてくれたのは……あの人だけだった。
勇者なんて、そんなものに興味はない。魔法学校にだって本来なら入るつもりなどなかったのである。
そう。――マチルダの希望でさえなければ、自分は今此処にいることはもちろん、世界の命運を背負おうと思うことさえなかったことだろう。
ジョシュアは世界を憎んでいた。魔王予備軍?大いに結構ではないか。自分はこんな世界など、さっさと滅んでしまえばいいと本気でそう思っているのだから。
――綺麗な言葉なんか、要らない。そんなもので全部誤魔化して笑ってるカミサマなんか、居ない方がマシなんだ。
腹立たしい。それでも、自分はマチルダが望むなら行くしかないのである。
たとえ、共に組まされるのが――大嫌いで憎たらしい、あの女であったとしてもだ。
――仕方ないから教えてやるよ。光の魔法だけで全部救えるなんて、大間違いだってことをな。
出発の日まで、あと一週間。
自分の世界も――少しは何かが、変わる時が来るのだろうか。
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