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 夜七時になった。  さまざまな古いアパートを回り、一軒一軒を尋ねたが、ドクター永松はどこにもいなかった。  お陰で俺は何回も目出し帽を装着しては外してを繰り返す羽目になった。 「うーん。やっぱり、見当違いなのかな……」凛が呟く。 「そんなことないよ。まだ探していないところもあるだろうし、粘り強く探すしかない」  と、凛を励ますが、半分は自分に対しても言っていた。  焦らなくても、大丈夫だ。本当に申し訳ないが、また凛の家の離れに泊めていただくことになりそうだ。しかしその前に、確かめなければならないことがあった。 「なあ、凛。タイムマシン本体の様子も見に行こうぜ」 「ええ。私も今、そう言おうと思ってたわ」 「見つかってないといいけど」 「草も生え放題だったし、ちゃんと車体が隠れてたから大丈夫よ、きっと」  仮にドクターが見つかったところで、タイムマシンである車本体が盗まれたり撤去されてしまったりしては元も子もない。  空き地までは一キロほどあるので、凛と並んでそこを目指して歩いていく。  そして思い出す。  そういえばこの辺りは、沙耶ちゃんが通っていた学校の校区だった、ということを。  本当は、この時代の沙耶ちゃんに会いたい。できることならば、俺の思いを伝えたい。  見知らぬ人間がこんなこと言っても気持ち悪がられるだけだろうけど、通報不可避だろうけど、「純潔のままでいてほしい」って、伝えたい。  だけど、そうするわけにはいかない。歴史が変わって、今の沙耶ちゃんに出会えなくなってしまったら嫌だから。  俺の好きな沙耶ちゃんは、今までの沙耶ちゃんの経験で出来上がってる。だから、それを否定するような真似は、しないほうがいい。いや、しちゃいけないんだ。だって、俺は沙耶ちゃんを愛しているんだから。 「ねえ、あれ」 「ん?」 「私たちの学校の制服じゃない?」  凛が指さした向こうの歩道を見る。 「ほんとだな」  確かにそれは、俺や凛が通っていた高校の制服を着て歩く、女子生徒の後ろ姿だった。 「ねえ、あの子、めっちゃふらついてるけど、大丈夫かしら?」 「えっ、ていうか、あの子、もしかして……」  俺は凛の顔と女子生徒を交互に見る。 「あれ、凛じゃないか……?」 「え、嘘⁉」  間違いない。あの後ろ姿は、学生時代に何度も目にした凛の後ろ姿そのものだった。  なんと、こんなところでご本人登場を目撃してしまうとは。向こうから気付かれていないのはラッキーだが、それよりも……。 「なんでこんなとこまで来てんの⁉ っていうか大丈夫なの、あれ?」 「そうか。離れで変な声を聞いた次の日だから、あんまり寝れないままライブに来てるんだ。あー、思い出した! そういえばライブここら辺で開催だった!」 「ってことは、これまた俺のせいだな……」 「もういいわよ。気にしないで」  JK凛は、ふらふらなまま向こうへ歩いていく。俺たちが見つかる心配はなさそうだ。四年前の凛といま一度話してみたい気持ちもあったが、そんな危険を冒してはいられない。  と、凛が訝しげな声を出した。 「んー?」 「どうした、凛?」 「私、誰かに尾けられてない?」 「は?」 「ほら、あそこにいるおじさん」  凛の視線の先を見る。JK凛が歩いている背後を、怪しい、白衣を着たおじさんが歩いているのが確かに確認できた。  しかも、しばらく歩いては電柱や塀の陰に身を隠している。「私はストーキングをしていますよ!」と宣言してるのと変わりないように思われた。  というか、あの怪しさ、見覚えがあるぞ……。  凛もあの気持ち悪さに心当たりがあるようで、彼女が頬をひきつらせているのが俺にも分かった。 「もしかして、あれ……」 「もしかしなくても……」 「「ドクター永松!」」  遂に見つけた! 正直、もっと時間がかかることを覚悟していたから、とても幸運な気持ちだ。  流石にこんな見つけ方をするとは思ってもみなかったが。 「そういえば、あのおじさん、女子高生趣味みたいなこと口走ってたような……」 「気持ち悪すぎるわ。私が襲われちゃう前に、早く、取っ捕まえましょ」  俺たちはドクターや凛に気づかれぬよう、早歩きで彼に近づいていく。  俺は一つ気になったことを、凛に尋ねる。 「お前、四年前、ドクターに襲われたりしてないよな?」 「そうだとしたら覚えてるわよ。大丈夫。高校生の私はきっと無事だから、ドクターを捕まえることに専念しましょ」  とても気を遣って嘘をついているようには見えなかったので、俺は安心する。  人気の少ない通りを、俺と凛は進んでいく。  ドクターとの距離は、徐々に縮まっていく。  白衣の背中に俺たちはそっと近づいていく。  二人の命運がかかっているので、緊張する。  俺は、辺りを見回した。  若い男女が中年男性を捕縛しようとしている様子を誰かに見られては、たまったものじゃない。  背後から歩いてくるものは、誰もいなかった。俺は安心して、また前に向き直ろうとする。  しかし、その途中で、ある光景が目に入った。  広めの道路を挟んだ向こう側に、周りを雑木林に囲まれた、小さな公園があった。  ざっと見たところ、公衆トイレと滑り台、砂場がある程度のもので、街灯も一つしかなく、なにか不気味な雰囲気を感じさせた。  そしてその公園に、一人の女の子が立っていた。  制服姿だ。あれは確か、沙耶ちゃんが通っていた高校の制服で……。  女の子を凝視し、俺は気付く。  そして鳥肌が立つ。  7月だというのに、寒気が俺の全身を襲った。 「沙耶ちゃん⁉」  俺は思わず声を出した。かろうじて声量は抑えたが、凛がビクッとしてこちらを見る。  そして、ドクター永松も足を止める。幸いこちらを振り向きはしなかったが、後ろを警戒させてしまったのは間違いない。 「どうしたの?」歩みをいったん止め、凛が尋ねてくる。 「沙耶ちゃんが、沙耶ちゃんがそこにいたんだ……」 「は? なんでこんなところに?」  正直、とても混乱していた。  ついさっきJK凛が現れたかと思えば、それを尾けるドクターが現れ、今度は沙耶ちゃんが……。  また公園の方を見る。すると、先ほどは気付かなかったが、JK沙耶ちゃんの傍に、四人の男が立っていた。  いや、正確には性別は分からない。なぜなら彼らは黒い目出し帽をかぶっていたからだった。しかも目と口の部分が赤くふちどられたものだ。  何かヤバい雰囲気を俺が感じとった、次の瞬間だった。 「きゃー‼ 離して!」  俺が知っているものより少し幼い沙耶ちゃんの声が、そう叫んだ。 俺は、はっきり目にしていた。  四人の男のうち一人が、沙耶ちゃんの腕を掴んで、公園の奥のほうへ引っ張っていこうとしているのを。  彼らは興奮しているのか、こちらに気づいている様子はなさそうだ。 「やめて! ねえ、やめてったら!」  JK沙耶ちゃんが叫ぶ。  明らかに、楽しく遊んでいるようには見えなかった。  昨日、沙耶ちゃんから聞いた内容が脳裏によみがえってくる。「初めて体験したのは、十七歳のとき」。沙耶ちゃんは前の日に十七歳になっているはずで、もしかしたら今からあの男たちに……? 「くそっ!」  すぐに沙耶ちゃんを助けるために走り出そうとする。  しかし、俺の足は止まってしまう。  過去を変えてしまっては、未来で俺が沙耶ちゃんと出会えなくなってしまうかもしれない。2019年の沙耶ちゃんを構成するものを、俺が壊してしまうかもしれないんだ。それに……。  前方を見る。叫び声に驚いて、振り返ったのだろう。ドクターがこちらに気づいて、逃げようとしていた。  まずい。彼を捕まえなければ、俺たちは未来に帰れない。  しかし、沙耶ちゃんが……。  だが、過去を変えては……。  俺は一体、どうすれば……。 「行きなさいよ! 助けに!」  ハッとして、横を向く。  凛が俺の胸ぐらをつかみ、早口でまくし立てる。 「あんた、ビビってるの? あの子にもう会えなくなるかもって? アホらしい! そんなの、理屈じゃそうかもしれないけど、だからって、見過ごすの⁉」 「凛……」 「無責任なこと言ってるって、自分でも分かってる! でも、好きなんでしょ⁉ だったら行きなさいよ! ここで助けにいかないなんて、そんなの…………そんなの、私の好きな葉人じゃない!」  凛が俺を突き飛ばす。  そして俺は、その勢いのままに走り出す。 「ドクターは私に任せて!」  という凛の声が後ろから聞こえた。  凛はやはり俺にとって、最高の幼馴染だ。と、そう実感した。  男たちのうちの一人が、沙耶ちゃんの口を押さえ、そのまま公衆トイレの中に引きずり込むのが見えた。他の男もそれに続き、トイレの中へと入っていく。  こいつら、俺の沙耶ちゃんになんて真似を……‼!  殺気が芽生えてくるのを自覚する。いや、いけない。こんなときこそ冷静でいることが大事だ。かといって、ゆっくり策を練っている暇はない。  仕方ない。  俺はわずかな勝算に賭けることを決意しつつ、バッグの中に手を突っ込んだ。
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