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 公園から出て、沙耶ちゃんと共に逃亡していると、通り雨が降ってきた。  俺とJK沙耶ちゃんは、少し離れたところにある路地裏に身を隠すことにした。完全に雨が防げるわけではないが、それでも表を歩くよりは、十分マシだと言えた。  じめじめとした空気が俺たちを包んでいる。  腰を下ろしたまま、濡れたコンクリートの壁に背中を預けつつ、俺は沙耶ちゃんに語りかける。 「さっきは助かったよ。ありがとね」 「……」 「ここまで来たら、たぶん大丈夫だよ……」 「……」  まったく返答してくれない。  それもそうだろう。俺は彼女の前に姿を現した時、既に怪しい目出し帽をかぶっていたのだから。一緒に逃げてきたとはいえ、まだ警戒されていてもおかしくないわけで……。  雨音だけが響いている空間が、気まずかった。  そして俺は、また無視されるかもしれないな、と思いながらも、どうしても気になっていたことを沙耶ちゃんに尋ねる。 「ねえ、なんでスタンガンなんか持ってたの?」  暗い路地だったけれど、二人の距離が近かったので、俺は沙耶ちゃんの表情を確認することができた。  彼女は、ハッとした表情でこちらを見ていた。しかし、また顔を伏せる。  やはり答えてはくれないか……。と、がっかりしたとき、沙耶ちゃんが声を発した。 「私、分かってたんです」 「へ?」  沙耶ちゃんの方を見る。伏し目がちのまま、震える声で、彼女は話し続ける。 「ときどき、夢を見るんです。その夢は未来の出来事をそっくりそのまま『体験』するような夢で……」  今度は俺が、ハッとさせられる番だった。  そうか。沙耶ちゃんも、京香さんと同じ『ドリーマー』だったんだ……。 「でも、その内容はいつ現実になるか分からなくて……。私、見たんです。さっきの男たちに襲われて、トイレに引っ張り込まれる場面の夢を。だから護身用にスタンガンを……。でも、怖くて、全然使えなかった!」  泣きそうな声で、沙耶ちゃんはそう言った。  そして先ほどの恐怖を思い出してしまったのだろう。彼女は、俺の胸に飛び込んできた。 「……っ!」  俺は、胸が苦しくなる。雨音までもが、心に刺さるようだった。  昼間に凛と話したことを思い出す。「もしも嫌な未来を見てしまったら、それを変えることも出来ずに、ただ待ち受けることしかできない」。  複数人の男から襲われることを分かっていながら、日常を過ごさなければいけないなんて、想像を絶する恐怖に違いない。しかも京香さんと違い、沙耶ちゃんは、それがいつ起こるかも分からないまま暮らしていたのだ。 「ごめんなさい、訳の分からないこと言っちゃって……。変ですよね、こんなの……」  俺の胸で、涙声の彼女が言う。 「大丈夫。分かってるよ。俺は、君の味方だから……」安心させるために、彼女に対してささやく。  そしてまた、俺は思い出す。  いつかベッドの中で、沙耶ちゃんが話してくれたことを。  彼女は、「未来が怖い」と言った。そして、こうも口にした。「私は、未来が分からないから怖いんじゃなくて。むしろ……」と。  あのとき彼女が言いかけた言葉が、今なら分かるような気がしていた。「むしろ、分かってしまうから怖いの」と、『ドリーマー』である沙耶ちゃんは、そう言おうとしたのだろう。  JK沙耶ちゃんの濡れた髪を撫でながら思う。そういえば、あのときも沙耶ちゃんはこうやって俺の胸に顔を埋めていたっけ……。  涙があふれそうになる。  沙耶ちゃんがこんな苦しみを抱えていたなんて、今まで知らなかった。それなのに俺は、そんなことも知らずにのうのうと過ごして、挙句の果てには、処女じゃないって分かった途端に取り乱して、部屋から飛び出して……。  自分が恥ずかしくてしかたがなかった。  いま俺にできることは、ただ沙耶ちゃんをこの手で抱きしめることだけだ。 耳をすます。  雨音が連なる中で、一つの寝息が、俺の腕の中から聞こえてきた。 無理もない。  あんなに怖い体験をして、疲れ切ってしまったのだろう。  できるだけ雨にさらされないように、気のすむまで寝かせてあげようと、俺は彼女に覆いかぶさるような体勢になった。
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