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「葉人、あんたって……。器が小さいにも程があるわよ」  目の前に座る涼宮凛(すずみやりん)が、俺に対してそんな言葉を投げかけてきたので、俺はムキになって言い返す。 「なんでだよ! だってショックだろ、今まで純潔だと思ってた沙耶ちゃんが、しょ、処女じゃなかったなんて……」  俺の言葉はだんだんと弱々しくなってしまった。  夜の八時。行く当てもなく部屋を飛び出した俺は、二つ向こうの駅のファミレスまで走り、そこに凛を呼び出したのだった。 「女なんてねぇ、大体みんな高校生で、少なくとも高校卒業二年以内には初体験を済ませてるもんなのよ!」 「そ、そんなに早く……」 「だいたいあんたは昔からねぇ……」  くどくどと俺に文句を並べたてるこの涼宮凛という女は、俺の幼稚園からの幼馴染だ。いつだって俺よりも背が高く、俺よりも遥かに運動ができて、俺よりも遥かに頭がよかった。だからこいつはどんな学校にも通えたはずなのに、なぜかこいつの選ぶ進学先は、常に俺と一緒だった。今も同じ大学に通っている。  不思議だ。凛には何か、俺と一緒にいたいという思惑のようなものでもあるのだろうか? いや、そんなわけないか。きっと腐れ縁というやつなのだろう。  おまけに凛は凄く美人だ、ということらしい。俺は正直ピンとこないが、友人たちからはしょっちゅう羨ましがられた。「なんでお前みたいなやつと涼宮さんが幼馴染なんだ。けしからん。処す」。しょっちゅう処された。 「ねえ、聞いてる?」  凛の声で我に返る。 「ああ、ごめん。少し解説めいたモノローグを入れてて、ぼーっとしてた」 「何を訳の分からないことを言ってるのよ」 「そういえばさ、聞いたことなかったけど、凛はもう済ませてるのか? 初体験」 「わ、私!?」 凛の表情が一瞬固まる。 「わ、私は…………。や、ヤッてるに決まってるでしょ! と、とっくの昔に済ませたわよ! 残念だったわね!」 「へー、そうだったんだ」 「なんで私のときはそんなに反応が薄いのよ!」  美人(と巷では言われている)の凛なら、とっくに処女を喪失していてもおかしくないとは思っていたが、いざ聞くと少し意外だった。彼氏がいたなんて話もまったく聞いたことがなかったし。と、いうことは……。 「お前、援交でもしてたのか?」 「してるわけないでしょ! ああもう、いいわよ……。ごめん、ほんとは私もシたことない。童貞のあんたと一緒よ」 「誰が童貞だよ! いや、確かにシたことないけど、もう少しで、できるはずだったんだ! それなのに、沙耶ちゃんが……」  まさか、沙耶ちゃんが処女じゃなかったなんて……。俺はその事実をまだ受け入れることができずにいた。  自分がいわゆる「処女厨」だなんて、今まで気づきもしなかった。むしろこれまでは「俺は愛する人に関してだったら、どんなことでも受け入れられる」と、そう信じ込んでいた。  恋人が処女じゃなかった。たったそれだけのことで動揺し苦悩する自分が気持ち悪くもあったが、しかしやはりこの感情を抑えることはできそうになかった。  嫉妬、羨望、悔しさ、いろいろなものが混ざり合った、汚い感情だ。 「ていうか本当にあの子、処女じゃないの? あんたが勝手に勘違いしてるだけなんじゃないの?」  凛が俺に尋ねる。 「俺だってそう思いたいけどさ……。服を脱がせ終わって、キスしようとしたときに、沙耶ちゃんが確かに言ったんだ」 「なんて?」 「『これが初めてだったらよかったのにな……』って」 「あちゃー」 「十七歳で、経験済み……」  自分で語っておいて、また辛くなる。 「はぁ……」思わずため息が漏れ出る。  すると、凛が咳払いをしてから口を開いた。 「ま、まあ。沙耶ちゃんのことは残念だけど。もうこうなったら、私たち初めてどうしで、さ……。その方がお互い、ね……」 「あ、そういえばさ」 「話を聞けよ!」 「そういえば、京香さんは元気?」 「ああ、ママ? まあ元気そうよ」 「時計をよく見る癖も、相変わらず?」 「そんなどうでもいい癖まで覚えてるなんて、あんたってほんとママのこと気に入ってるわよね」 「京香さんにも話を聞いてほしい……。俺の傷ついた心を慰めてほしい……」 「あんた、また私を差し置いて……」  京香さん、というのは凛の母親のことだ。面倒見がよくて、いつも俺に優しくしてくれた。おまけによく気がつく女性だった。  まるで未来に起こることを予測しているかのように何でも完璧にこなしてしまう女性で、「こんな人と結婚したい」と子供の頃しょっちゅう思っていた。  そういえば、よく気が利くところなんかは、沙耶ちゃんも京香さんと似ているな、と、また沙耶ちゃんのことを思い出してしまった。 「おっふ……」  セルフ追撃ダメージを食らった俺に、凛が言う。 「でも、まさかあんたがそんなに処女にこだわるなんてね」 「俺だって知らなかったさ。自分に、こんな感情が存在したなんて……」 「ま、まあ。さっきも言った通り私はまだ純潔のままなわけなんだけど」 「はあ。どうにかして沙耶ちゃんを純粋な処女の頃に戻せないかな……」 「また聞いてないし」 「俺、沙耶ちゃんが処女に戻るんだったら、『何だってするよ』」  凛が目をつむり、肩をすくめてみせる。お手上げ、という意味なのだろうか。  部屋に置いてきぼりにしてしまった沙耶ちゃんは、今頃何をしているだろうか。もう自分のマンションに帰ってしまっただろうか。そんなことを考えていると、沙耶ちゃんに会いたくなってきた。  しかし、今更どの面を下げて彼女に会えばいいか分からないし、会ったところで何を伝えたいのかも分からなかった。  また、ため息をついて、ファミレスの席に背中を預けたそのときだった。 「なあ、君」  声がした方を向く。俺と凛が座るテーブルのすぐそばに、白衣を着た初老の男が立っていた。  確か、さっきまで斜め前のテーブル席に一人で座っていた人だ。 「な、なんですか?」  俺が尋ねると、男はこう言った。 「君、さっき言ったよね、『何だってする』って」  ニヤリと笑う男の顔を見た後で、俺と凛は顔を見合わせた。
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