13人が本棚に入れています
本棚に追加
⑨
「葉人、起きて! ねえ」
体を強く揺さぶられ、俺は目を覚ます。まだ辺りは闇に包まれている。零れていた涙を拭いながら、凛に呼びかける。
「どうした?」
「あ、あれ……」
凛は川が流れている方を指さす。その方向、俺たちの目の前に、茶色の塊が存在した。よく目をこする。
そこにいたのは、大きな野犬だった。
「やばっ! てか、でかっ!」
俺が思わず大声を出すと、野犬がこちらに向かって襲い掛かってきた。
「「うおわー‼」」
俺たちの悲鳴がシンクロし、橋の下に響き渡る。暗闇の中でもはっきり見えた野犬の牙が、俺たちを震え上がらせた。
凛の手を握り、疾走する。
斜面を駆け上がり、河川敷から脱出する。しかし駆けながら振り返ると、野犬も負けじとそれについてきている。
自然と俺と凛の手が離れる。これは腕を一生懸命に振って走らなければ危険だ、と互いに判断したためだろうと思われた。
「助けて! もうやだ!」
「黙って走りなさいよ!」
俺たちは暗闇の中を走り続けた。
肺が苦しくて、心臓が痛くなる。
ちらりと隣の凛を見る。運動が得意な凛でも、流石にきつそうだ。
「はぁ、はぁ……」
ゆっくりと走る速度を緩める。
二人で同時に後ろを振り向く。そこに野犬の姿はもうなかった。
荒い呼吸を繰り返しながら、歩く。
辺りを見ると、ほとんど住宅地に入り込んでしまっていた。しかもここは、凛の実家の近くだったはずだ。
ブロック塀に背を預けて、俺たちはその場にへたりこんだ。
アスファルトの凸凹が尻に刺さって痛かったが、そんなことを気にしてはいられなかった。
「はぁ……、多分、河川敷にホームレスがいなかったのは、さっきの野犬のせいね」
息を整えながら、凛が言った。
「なあ、今からどうする?」凛に呼びかける。
「まさか、あの河川敷に戻りたくはないわよね……」
絶望的状況の俺たちは、ついに拠点まで失った。デビューしたかと思ったが、俺たちは結局、ホームレスにすらなれなかった。
「「はぁ……」」
俺たちは同時にため息をつく。お金と人脈が無ければ、人はこんなにも無力なのか、と思い知った。
「「どうしよう……」」
二人で同時に嘆いた、そのときだった。
ペタペタ、という足音がした。
俺と凛は、そちらの方を向く。暗闇の中、人影がこちらに近づいてくるのが見えた。
逃げなければ、と思うが、疲労と恐怖のせいか、立ち上がることができない。
足音と影はだんだんと近づいてくる。
俺と凛は、何も言わずに身を寄せ合う。どうかヤバい人じゃありませんように! と俺は願う。
いや、こんな夜中に出歩いている人がヤバくないわけがない!
ちらりと凛の方を見る。彼女は目をつぶっていた。きっと俺と同じように怖がっているに違いない。
こいつも女の子なんだよな、と思い出し、俺はその肩を抱き寄せる。
せめて見つかりませんように! と俺も目をつむる。
しかし、俺たちのそんな願いも虚しく、足音はだんだんとこちらに近づいてくる。薄目を開けると、やはり黒い影もこちらに近づいてきていた。
そして、最悪の事態を覚悟し、二人で身を震わせていたところで、人影が立っている方から声が聞こえてきた。
「待ってたわよ、あなたたち」
「「え?」」
街灯に照らされて、その人物の顔が見える。
それは、凛の母親である京香さんの顔に間違いなかった。
最初のコメントを投稿しよう!