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マイヒーロー
午後十時
家のリビングでふと気になったことを口にした。
「なあ、父さん」
「どうした?」
「よく考えたらさ、俺ってあと七十回ぐらい夏休みを迎えたら死ぬんだよな」
父さんが見ていたドラマを一時停止してこちらを見た。
「まあそうだな。ちなみに父さんはそのうち四十回ぐらいで死ぬかもな」
麦茶を一口。ん〜美味しい。
「父さんと一緒に過ごせる時間なんてあと夏休み四十回ぐらいしかないぞ。あー寂しいな」
「意外とあるね」
「さっき八十回が少ないって言ったのどこいったんだよ」
ふっと笑ってまた麦茶を一口。やはり美味しい。
「ちょっと卵と牛乳切らしたからコンビニで買ってきてくれない?」
奥のキッチンからひょこっと顔を出した姉が言った。
「ういーす。ヒロはどうする?」
三秒ほど悩んで結論を出した。
「俺も行く」
普段は絶対行かないが、今日は寿命の話をしたからなのか父さんと出かける気になった。
「じゃ、五分後に玄関集合」
俺は自分の部屋へ行き、タンスから適当にパーカーを一枚とった。ズボンは・・・・・・まあGパンでいっか。
あっという間に着替えて済ませて玄関へ行くが、父さんの方が早かった。ていうかパジャマにジャンバー羽織っただけじゃん。
靴を履いて外に出る。もう春になったとはいえ、やはり夜の外は少し肌寒い。
ほとんど車の通らない道路の真ん中を二人でペタペタと歩く。
少しすると公園が見えてきた。ヒロ自身小さい頃はここにある大きなローラー滑り台でよく遊んでいた。
「ここはな、父さんが小さい頃はもっと別の遊具だったんだよ」
父さんが何かを思い出したように自慢げに語り始めた。
「昔はあんなでかい滑り台じゃなくて小さい滑り台と変な形をした雲梯しかなかったから誰も遊具で遊ばずに鬼ごっことかして遊んでたんだよ」
「遊具がかわいそうだね」
遊ばれるために作られたのに全く遊ばれない悲しさをもっと考えようよ
「まあそうだな。でも鬼ごっことかかくれんぼとかも楽しかったぞ。一人が鬼でみんな探している間に隠れる側はみんな自分の家に帰るっていうやつが流行っていたんだよ」
「いや、最低だな」
「でもその時の鬼は全員の家の場所を知っていたから家のインターホン押してなんと全員捕まえたんだ」
「すげーな、その鬼。ある意味怖いよ」
こんな調子でコンビニ着くまで父さんの馬鹿げた昔話は続いた。修学旅行で夜宿舎から抜け出した話とか三者面談で母親の前で担任の先生に投げ飛ばされた話とかもうはちゃめちゃな、しかし父さんならもしかしたらあり得るかもという話が続いた。夜の町に二つの笑い声が響いた。
ずっと前にも考えたことがある。俺の父さんはなんでこんなに馬鹿なんだろう。いや、別に頭が悪いと言っているわけではない。性格が馬鹿なのだ。怒ったところを見たことがないし、家族でいる時は必ずと言っていいほど父さんがボケ倒し、それに母さんと姉ちゃんがツッコんでいる。それがいつしかうちの日常風景となっていた。ただ最近は父さんのボケが移ったのかかあさんもボケるようになってきた。姉ちゃん、ファイト。
コンビニでの買い物を済ませ帰り道。ビニール袋の中には卵と牛乳、父さんが勝手に買ったカップ麺そして炭酸ジュース。さっそく開けて一口。口の中で炭酸が弾けて美味しい。
「父さんにも一口くれ」
「ほい」
右手でヒョイとジュースを渡す。ここでふとさっきの疑問を聞いてみたくなった。
「なあ、父さん」
「ん?」
「父さんってなんでそんなに馬鹿なの?」
「頭がってこと?」
「違う性格」
ちょっとストレートすぎたかな?
ちらっと横を見ると、かすかに父さんの表情が変わる気がした。時刻はもうそろそろ十一時。この買い物旅も終盤だ。
「それはな、こんな馬鹿でも人生なんとかやっていけるんだぞってことを示すためだよ」
父さんは相変わらず緩んだ口調で続ける。しかし確実にさっきとは違う静かで優しい雰囲気が二人を包んでいった。
「父さんは、学校の先生があんまり好きじゃなかった。何でもかんでも勉強って言ってくる親も嫌いだった。勉強星人かよ、お前はと何度思ったか」
どうやら父さんは性格だけじゃなくて頭まで馬鹿だったみたいだ。
「そんで、こんな親にだけはなりたくないって、いっそのこと正反対の親にだけはなりたくないって、その結果こんな馬鹿になったんだよ」
確かに、父さんの方の祖父母はかなり厳格で正直あんまり好きじゃない。
「だから、行きに話したことは全部本当のことだし、高校では問題児だったんだ。それでもしっかり職について、今の母さんに出会ってヒロとマユを授かってしっかりここまで育ててきた。ヒロは来年高校生だし、マユに至っては大学生だ。随分と大きくなったもんだ」
父さんはゆっくりと顔を上げ夜空を眺めた。その横顔は嬉しくもあり、少し寂しくもある複雑な表情に見えた。
「父さんは今、ものすごい幸せだ。もうこれ以上のことは望まないってぐらい。だから今はこんな性格になったことも全然後悔していない」
行きに通った公園に戻ってきた。二人ともゆっくりとその横を通り過ぎる。
「でも、きっと父さんは他の人よりもたくさん人生で損してきているんだと思う。それはきっと勉強だけじゃなくて人間関係とか諸々ね」
父さんがヒロの頭をポンポンと叩く。父さんの手が今はなぜかとても大きく感じられた。
「だからヒロにはもっと損をしない、もっと言えば得をするような人生を送って欲しいんだよ。ヒロが言っていたようにヒロの人生はあと夏休み七十回分ぐらいしかないんだ。しかも大人になって働くのはもう夏休み七、八回分なんだよ。あっという間だよ。だから今のうちにたくさん学びなさい。勉強もスポーツも恋愛も。学べるだけ学んで大人になりなさい。馬鹿な人生を送ってきた今だからこそ、父さんがヒロに伝えられることだ」
父さんの言葉はヒロの心を鷲掴みにした。心臓から何かが一斉に流れ始め、みるみるうちに全身に広がる。
「わかった」
どう返事をするか迷ったが、多分曖昧な言葉をたくさん並べて言うよりもシンプルに言うほうがいいような気がした。夜の世界はこういうことを言うためにあるのかというぐらいシーンと静まり返っていた。
「ただいまー」
家に帰ると父さんはジャンバーを脱ぎ早速キッチンに行ってカップ麺を作り始めた。さっきまで何もなかったみたいにまたいつも通りの馬鹿な父親に戻っていた。
ヒロは自分の部屋で再びパジャマに変身。一瞬だけ見ることができた父親を少し嬉しく思った。
ベッドの上に仰向けにダイブしそのまま少しの間静止する。きっとこれからも父さんは馬鹿なままで母さんや姉ちゃんを呆れさせるだろう。多分俺も一緒になって呆れている。
それでも・・・・・・
静かに瞳を閉じる。薄い瞼の裏に思いの丈を映し出した。
『それでもこの先、ずっとこの父親を尊敬して生きていくだろう』
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