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麿眉は汗で流れ落ちなかった!?
江戸の化粧(化粧の歴史)で、平安貴族が眉を剃り落とし、額に眉を描いていた”引き眉”をご紹介しましたが、汗が目に入りそうですねとコメント頂きました。
(;゚Д゚)ハッ!!
イメージで貴族は汗かかなそうだと決めつけていましたが、そうですよね、平安の人だって汗、かいてましたよね。
あわせて、舞妓さんは胸元をギュッと締めて発汗を抑えてるそうです、との情報も頂きました。ありがとうございます。
今回は江戸時代から少し離れて、「汗」を軸に、平安時代の貴族の生活を少し覗いてみたいと思います。
国立国会図書館デジタルコレクション
広重画 源氏絵 「箒木(はばき)」 (嘉永5年(1852年))
~箒木のあらすじをちょっとご紹介~
光源氏17才、本妻の葵の上の家に行くと、今日はこちらの方角は凶になっているので方違えせねばなりませんと、家を出るよう言われます。
「え~面倒くさい~」と言いつつ、内心、知ってる、とほくそ笑む光源氏。
本当は、年上でお高く止まってる葵の上が苦手な光源氏の、早く帰る為の策略でした。
良い方角上にあった紀伊の守、伊予介(単身赴任中)の家に方違えで向かいます。そこで見た伊予介の若き後妻、空蝉に懸想し、強引に一夜を共にする章です。
その後も関係を迫る光源氏でしたが、空蝉は、寄る辺ない為仕方なしとはいえ、人の妻になってしまった身、もっと早く出会えていたらと切ない思いを胸に秘め、心惹かれつつも、二度と会う事はありませんでした。
箒木は、そこにあるように見えて、近寄ると見えなくなるという空想上の木で、その形は箒を逆さまにしているようだと言われています。
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