寝殿造り

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寝殿造り

住まい、職場の暑さ対策を見て行きたいと思います。 貴族の住まいは寝殿造りでした。 020b751a-9c44-4c9b-aef6-813bbd6e4e0d京都御所 紫宸殿  床下の風通しが良い高床式建築で、屋根は檜の皮が敷き詰められていました。  寝殿を中央にして東に東の(たい)、西に西の対、寝殿の真後ろ(北)に北の対を配して、それぞれを渡殿(わたどの)で結んでいました。  東の対西の対からは、それぞれ長い渡殿が設置されてその先に、夏の暑い時期に涼むための部屋である東釣殿(ひがしつりどの)西釣殿(にしつりどの)が作られていました。  南側は築山や池、それを成す為の小川などを配した広大な庭が広がっていました。 池は、船遊びが出来た程の大きさでした。  十二単は15~20㎏もあった為、立って移動ではなく、膝で滑るように移動したと言います。その上お姫様は、部屋から出る事を許されませんでしたので、目の前の庭の景色が全世界。季節により移ろう姿だけを楽しまれて過ごしていたようです。 【外周】 049db21a-c10c-4827-b7df-5dbc799662bb旧嵯峨御所 大本山大覚寺  建物の外周には、宴会が催されるくらいの広い廊下の簀子縁を巡らせています。    人の目につく表(南側)に日光や風雪を遮る為の蔀(しとみ)が配されていました。(上の写真では黒い格子状のものがそうです。(裏に布や板を貼ったものが上等なものとされていました)上部分は吊ってあって庇のようになっています。吊り具を外せば、上下で一枚の戸になります)    北側(建物裏側)には現代の障子や襖にあたる遣戸(やりど)が巡らされていました。   【床、寝室】  床は板敷きで、主の座る場所だけに畳が置かれていました。  当初は両開きの扉、妻戸(つまと)がついた壁で囲われた部屋「塗籠(ぬりごめ)」を主人の寝室として使っていましたが、段々と、塗籠は貴重なものを仕舞っておく納戸として使われるようになりました。  主は母屋の一角に、畳で一段高くした場所に敷物を置いて、周りを几帳で囲んだ天蓋ベッドのような場所で眠ります。  女官たちは大きな部屋を移動式の布製のパーテーションである几帳(きちょう)や、屏風等で仕切り、パーソナルスペースを作っていました。    高貴な方は御簾越しの謁見となります。 御簾はブラインドと同じで、中からは外が見えますが、外からは薄っすらと”人がいるな”くらいにしか見えません。 5e8c23f6-9c9b-4642-8524-f13972d72909 源氏物語ミュージアム  (八の宮の娘の大君と中の君が暮らす宇治の山荘 御簾の上は板蔀です) 【まとめ】  全体的に風通しが良い印象の造りです。部屋も日が差し込む事なく影が作られていました。風が吹けば庭の池からも涼風が望めたかもしれません。 対して暖房器具も未発達だった冬の寒さが厳しそうですが、あれだけの枚数の着物を着ていれば、なんとかしのげたのではないかなと思います。  寝殿造りは、京都盆地の湿度のある暑さをしのぐための知恵だったのかもしれません。 ~おまけ~373a1601-7945-4b95-8a71-6e6e75c0e936eefdb7c0-cd50-445c-82b3-31151d4bc65a 旧嵯峨御所 大本山大覚寺 障子の腰板に可愛らしい兎の意匠が施されてました🐰
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