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恋愛観
「恋愛」と書きましたが、恋愛は、社会や哲学や意思と同じく、明治時代に、外来語を翻訳する為に作られた言葉ですので、当然ながら江戸時代には使われていませんでした。
江戸時代も「恋」は今と変わらず、相手を好きな気持ちとして使われていましたが、人々は「愛」にはあまり良いイメージを持っていなかったようです。
学問として学ぶ儒教では、愛とは、君主が民を慈しむ気持ち、とされていましたが、庶民の生活に身近だった仏教での愛は、愛欲(性的な欲)、渇愛(身体、精神的な欲望)、愛執(物事に執着し離れられない事)等にみられるように、苦しみを産むものであり、悟りを邪魔する邪なものとされていました。
特に男女の間柄に関しては、即物的な意味合いを持っていたようで、江戸時代に生きた人々には、少し大げさに表現するならば、口にするのも憚られる、そんな言葉だったようです。
愛が使われなかった江戸時代、恋心や慕う気持ちは、恋情や情などと呼ばれ、恋愛に当たる言葉は”色恋(いろこい)”と呼ばれていました。
色は、カラーを表す以外に、色っぽい、色気、色事、色子などといった、性的な事柄を表す隠語としても使われていました。時には、「あの人は私の色なのさ」のように、性的な関係のある恋しい相手を表す”人代名詞”にも使われました。
慕いあい、思いあう気持ちに、色という字を使うと、その関係性が一気に艶っぽくなりますが、それもそのはず、江戸時代の恋愛は体の関係に重きをおいていたようです。
体の関係に重きをおくと聞くと、ぎょっとしてしまいますが、そこには、仏教でいう愛欲はかけらもありませんでした。
江戸時代の人は、好きな人と肌を合わせると精神的にも満ち足りた気持ちになれることから、体の温もりと心の温もりは直結していると考えていたようです。
時代によって、価値観も、常識も違っていますが、人を好きになってドキドキしたり、両想いになりたくて頑張ったり、別れがつらくて涙したり、そんな思いは今と変わらないんじゃないかなと思ってます。
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