青い春から求婚まで

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青い春から求婚まで

 青い春  何やら色んな切ない曲が聞こえてきそうですが、 「両方から 書いたるもの取る 青い春」 晴れて両想いになっても、なかなか会えずに文通だけにとどまっている二人をさして、指南書では、青い春と呼んでいます。 会いたい人がいる、はじまりは青い春♪ 青春ですね~。    逢瀬 やっと、会えるとなった時、待ち合わせ場所としてよく使われたのは、寺社でした。参拝にかこつけての逢瀬です。 商家のお嬢さんも、参拝に行くと言えば咎められる事もなく行きやすい場所でした。 恋文で指定した境内の茶屋での待ち合わせ。ドキドキですね。 誰に内緒もない二人ならば、 現在の浅草寺の裏側にあたる奥山は、賑やかな盛り場でしたし、 芝居見物、花見、蛍狩り、両国の花火、夕涼み、潮干狩り、秋には山遊び(ピクニック)と、賑やかな江戸には、楽しい場所はたくさんありました。 ただ、二人でお喋りするだけでも楽しかったでしょうね。  出会い茶屋 恋文指南書の中には、恋文のその先、性についても指南されているものもあって、性交の方法や体位についても指南されていました。 どこまで寄り添ってくれるんだ。 お泊りはできませんが、共に過ごせる数時間は、恋する二人には、また格別でしたでしょう。 商家のお嬢様も、お供について来た下女にお小遣いを渡して、しばしの自由を味わっていたのかもしれません。  同棲 裏長屋に住んでいたならば、二人の内どちらかのもとへ、或いは二人で新しく部屋を借りて暮らし始める、引越女房、今でいう同棲をスタートさせることも少なくありませんでした。人別帳を移し、そのまま夫婦になるカップルもよく見られたようです。  駆け落ち 親の反対、不義の恋、世間から認められない二人は、手に手を取って逃げ出す事もありました。逃げ出した当初は恋に燃え上がっていても、現実は人別帳の無い二人には厳しいものでした。頭を下げて戻る勇気があれば良い方で、追い詰められ、心中という最期を迎えてしまうことも。  心中 女郎はつと、醤油商の手代徳兵衛が、曽根崎村で心中した実話をもとに、近松門左衛門が脚本を手掛けた人形浄瑠璃「曽根崎心中」の爆発的ヒットや、他の実際にあった心中話を受け、心中が流行ってしまいます。 心中とは、現在でも”心中お察しいたします”という風に使われますが、元々腹という意味でした。指切りや爪を離すといったように、嘘のない真意を表す最たるものという意味で情死を心中と表現したようです。 ブームを看過出来なくなった幕府が享保8年(1723年)、心中を規制する法度を出すほどでした。 死んでしまうなんて勿体ないと、怒ってます。 大体、心中とは、忠に通じる言葉なのだから、この呼び方は相応しくない。 今後は相対死とか、申合相果候者(もうしあわせあいはてそうろうもの)と呼ぶように。 今生で添い遂げられないならば来世でと言う思いが尊いだなんて、愚痴蒙昧に踊らされて、命を粗末にするなんて、人に非ず。 と、それ以後大変厳しい罰が課せられたことで、落ち着いて行きました。  別れ 出会いがあれば、別れもありました。 男女どちらかの気持ちが冷めてしまえば、会う頻度も減ってきます。 まだ心が残ってる方が文を出しても、縁切のような文が届けられてしまう事もあったようです。 切ない(´;ω;`)ウゥゥ  プロポーズ 順調に愛を育んで、ついにプロポーズです! 青い春から始まって、幾たびかの季節を共にして、やっぱりこの人と所帯を持ちたいと、ご縁が結ばれる。嬉しさ爆発ですね。 江戸の男性はプロポーズする時に櫛を贈ったようです。 (く)苦労させるかもしれない、だけど、(し)死ぬまで一緒にいてくれないか?と、女性が髪にさして肌身離さず持っていられる櫛をプレゼントしたようです。 今では、苦労、死ぬを連想させて縁起が悪いとされている櫛。 同じ発想ではありますが、何と前向きなことか。 おめでとう(*´ω`*) 恋人たちの様子をお送りしました。 次回は、縁談、お見合い、婚礼を予定しています。
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