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江戸のお産2
古くは、多産にあやかり、子の日、卯の日にも安産祈願をしていましたが、次第に妊娠5ヶ月の最初の戌の日に安産祈願をし、腹帯(はらおび・ふくたい)(岩田帯とも言う)を巻くようになりました。
この風習はアジア圏内を見ても日本にしかない風習だそうです。
湿気が多く、冷えやすい為、妊娠中期以降はその保温の為と、外圧からの防御の為と言われています。
現代では帯とは言いつつ腹巻タイプや、補助ベルト、パンツ式と、日常使いやすい様々なタイプが揃っています。
平安時代には、着物の上から巻いていました。室町時代の京都の飴売り「桂女」は頭に白い布を巻いています。これは神功皇后からいただいた腹帯だという伝説に基づいているそうですが、真偽のほどは・・・・・・。
腹帯は、古事記の神功皇后の安産故事が由来とされています。
新羅にいざ出陣と言う時に子供が生まれそうになってしまった為、海岸の石を拾い願いを込めて御裳の(ベルト付き巻きスカート型下着)
腰につけました。その甲斐あって筑紫の国で無事出産が出来たというものです。
妊娠中に出兵という驚きであまり頭に入ってこないかもしれませんが、この「鎮懐石」が安産の証として伝えられ、腹帯と変遷していったという事です。
何故石?しかも海岸でたまたま拾った石にそんな効果があるの?と思いますが、日本人は山の巨石や海の小さな丸い石に神が宿ると信じでいたようです。
【月満ちていよいよお産です】
時代劇などでおなじみ、「力綱」は江戸時代中期頃まで使われていました。
いきむときにつかまって、背後から抱いてもらう形で前、横ともたれてのお産になります。
天井の梁に金輪をし、そこに縄を通し垂らした綱は、力綱の他に、泰産縄、産綱などとも呼ばれました。
裕福な家では一部屋が産室に当てられましたが、貧しい農家などでは土間の一角に藁を引いて産室としていました。
今回調べて一番ビックリしたのが、椅褥です。
生まれる直前までは椅褥、江戸では産籠、かた畳と呼ばれる座椅子に正座します。(つづらを三方において着物を打ちかけたものも代用されていました)
椅褥は1メートル四方で、高さが40~50㎝。
左右に手すりがある座椅子、若しくは、僧侶が座る椅子、手すりの付いた曲禄を思い浮かべていただくと近いかと思います。
産む時に畳に降り、産んだ後またこの椅褥に正座します。
ー産後の処置ー
①朝鮮人参・肉桂・桂心・丁番・甘草を調合した「振り出し薬」を飲ませます。
②物によりかかり足を少し曲げて少し休ませます。
③長く眠らせないように酢を鼻に塗ります。
3日間は産婦の胸をさすってあげて、血が滞らないようにします。眩暈やのぼせ予防にもなります。
このころから味噌汁などを少しづつ食べさせ、魚、肉などは産後1ヶ月後からとあります。
ー心得ー
気持ちを落ち着け、無理をしない。ここで不養生すると足腰を傷めることとなるので、とにかく気血を補いなさいとあります。
長く眠らせない、正座を続ける、など現代の私からすると、苦行かと思いますが、椅褥に寄りかからせることが血道、血暈を防ぐとされ、当時はそれが一番産婦の体を労わるとされていたわけです。また、七日間の間、お母さんは赤ちゃんのお世話をする気配がありません。
江戸時代の価値観と現代では価値観が全く違い、戸惑う事多々あります。
座ってたら無理だという事もありますが、赤ちゃんの世話はそれが出来る大人がやればいいのであって、お母さんの心と体の安定が第一、大人あっての子供という価値観に添っているなと思います。
弊害もあった為か、江戸後期になるとお産の姿勢は、布団を積み重ねたものに無理なく背を預ける仰臥位になりました。
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