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あさがお1
朝顔もとても愛された花です。
奈良時代に中国より渡ってきました。中国では下剤、利尿剤などの薬として使われていた朝顔ですが、日本ではその花の美しさに注目されます。
平安時代に描かれた源氏物語の中に「朝顔の君」が登場します。彼女は唯一光源氏を拒んだ才女として描かれています。
平安時代には貴族の庭でのみ栽培されていましたが、室町時代には庶民の花となっていました。
時代下がって江戸時代。その美は更に追及され、鎖国もあいまって日本独自の花へと生まれ変わっていきました。
形や色が変わった変化ものが徐々に好まれるようになっていきます。
江戸時代中期、平賀源内が湯島天神でひらいた物産会には、最初に複色となる黒白染め分け(今の雀まだら)、花びらが変化した、八重咲、桔梗咲き、孔雀八重が登場しています。
後期になり、急激に変わりもの人気に拍車がかかり、様々な種類が登場しました。
その頃催された朝顔顔合わせ(品評会)には、桜咲き、戻り咲き、竜胆咲き、乱れ咲き、石畳咲き、などが出品されています。
朝顔は突然変異が前提条件となるため、少しでも変わった性質を持つものを見つけそれを見逃さずに保存し次に繋げていきました。
変化栽培に力を入れていた旗本もいましたが、下級武士の内職による変化栽培は、もはやセミプロといっても良い腕前でした。
彼らは仕事も無いのに人数が多すぎて、一つの仕事を三人で分担して行う始末。三日に一日は休み、仕事があればまだ良い方で、小普請組は仕事自体が全くなく自宅待機。毎日暇。そして金が無い。そこで勢い組ごとに内職に励む事になりました。
組ごとに取り組みますので、傘貼りは青山百人町の甲賀組、凧や提灯づくりは牛込弁天町の根来組、つつじは大久保の伊賀組など、居住区により何かしらの産地になっていた程です。
朝顔は、岡町(台東区)の岡町組。ここの金魚と朝顔は見事なもので評判も上々。入谷の鬼子母神を中心とした朝顔市の起源と言われています。
変化ものはお値段も高く、一鉢が14両2分だったこともあるそうです。
1両75,000円、1分20,000円で計算すると
1,090,000万円。ひゃくきゅうまんえんΣ(・ω・ノ)ノ!
そんな取引は御大尽の事、庶民は好みのお手頃価格の朝顔を楽しんでいたようです。
歌川広重
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