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円山応挙(幽霊画)
江戸時代の幽霊画、男性を描いたものもありますが、多くは女性の幽霊を描いたもの。儚げな美人、おどろおどろしい表情、後ろ姿と、様々なタイプがありますが、共通した特徴は足が無い事。腰からしたがすうっと消えているアレです。
足が無い幽霊はそれ以前にもありましたが(出版年不明ですが、1672年におこった事件を描いた「死霊解脱物語聞書」の挿絵には足の無い幽霊が描かれています)掛け軸に観賞用に足の無い幽霊画を初めて描いたのは、円山応挙と言われています。
彼は1733年(享保18年)丹波に生まれました。狩野派に入門し、その『型』を習得しますが、その後本草学に精通していた円満院門跡の祐常門戸と出会い、『写生』に重きを置いていきます。
本草学では草花を図鑑に載せる為に正確に描き取ります。
お花見の回で、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている『梅園草木花譜』をおススメしたのですが、これ、筆で描いたの??と驚くほど精巧に描かれていて惚れ惚れしてしまいます。
応挙は、見たままを描くだけでなく、目に見えないはずの風を描き、模写をすれば原画を凌駕してしまう程の力量の持ち主でした。その腕もさることながら、性格も穏やか、弟子の育て方も上手く、社交的、人を好き、人に好かれた人だったと言います。
解剖学や人相学にも精通していましたので、艶やかな人物像から、七福七難の図に見られるような何とも凄惨な場面も見事に描き上げています。
美人の幽霊画だけでなく、見た者に嫌悪感を抱かせる幽霊画も描いています。体に比べ顔を大きく張り出させ、その顔は、瞳を霞のようにぼかし、口からは、あり得ない程伸びた歯がのぞいています。人体のバランスを熟知していたからこその、アンバランスが観る者に言い知れぬ恐怖を与えています。
彼が初めて幽霊画を描いたのは、大津に住まわせていた愛人の「お花」が病気で亡くなった時だと言われています。時には火消しに頼まれてその背に描いたこともあるそうで、相当数描いたと推測されていますが、不思議な事に、確かに応挙が描いたとされる幽霊画は「反魂香の図」と「幽霊図」のたった2点しかないそうです。
幽霊画と同じく、緻密で繊細、こまやかな腕をいかした、モフモフ画も有名な絵師です。仔犬やウサギの愛らしい事。寅に至っては観た事もないのに、見事なモフモフに仕上がっています。
機会があれば、幽霊画とモフモフ画是非ご覧いただきたいです。
今回は逆リクエストでした。ご自分の作品の備忘録として、様々興味深いお話しをされている中の「日本の幽霊」の記事を読ませて頂いて、江戸の人々にとっての幽霊を調べてみたいと思い立ち、江戸あれこれでやってもいいですか?とお伺いしたところ快諾していただきました。ありがとうございました。
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